INDEX 

Just You, Just Me

「クラウド。あまりそのことばかり考えて緊張するなよ?」
「あ、うん。そうだよね。か、考えないようにしなきゃ」
肩をすくめて悄然とした足取りで傍らを歩く少年を見下ろし、セフィロスは顔を曇らせた。
弱々しい朝日が、灰色の路面から立ちのぼる湯気の合間でキラキラと揺らめいていた。アスファルトを打つふたりの靴音は、あたりに響く規則的なエンジンの音に掻き消されていく。
カームの町外れにあるこの小さな空港は、一般の航空機の発着を許された数少ない場所のひとつだ。靄の向こうには、見慣れた軍用艇よりもかなり小振りの飛空艇が、優美な姿を浮かび上がらせていた。今年の夏に就航した「ガネーシャ」だ。
ガネーシャはミッドガルを中心とした富裕層を世界中のリゾート地へと運ぶ豪華旅客艇だ。神羅の最新型輸送機ゲルニカと同じ魔晄エンジンと自動航行システムを採用し、巨大な積載量を可能にした“腹”の部分をスマートに作り替えた美しいデザインを誇っている。豪奢な客室とアミューズメント、行き届いたもてなしで、快適な空の旅を提供するガネーシャは庶民の憧れの的でもあった。
空港には、可愛い子供たちを連れた上品な家族連れ、優しい目をした老夫妻など、年代も性別も様々だが揃って身なりのよい乗客が、緩やかに列を作っていた。
赤いミニスカートの制服にフリルのエプロンを着けた客室乗務員が、乗客を一組ずつガネーシャの中へ案内していた。
セフィロスはクラウドを気遣うように、やんわりと背中に手を添えて列の最後尾へと歩を進めた。

「スミス様、ようこそガネーシャへ。本日はお二人のご搭乗ですね?」
耳慣れない名前を呼びかけられて、クラウドが怪訝な顔を上げた。セフィロスは素早く目配せを送ると、客室乗務員に鷹揚に頷いた。
「この子は多少乗り物酔いがあるのだが…」
「はい。ご安心下さい。社長から特に気を配るようにと承っております」
自分たちの担当らしい客室乗務員の女性はクラウドを安心させるように、にっこりと微笑みかけた。
「フローラと申します。楽しくお過ごしいただけるように工夫いたしますわ」
クラウドは不安の入り交じった曖昧な笑顔を見せた。
フローラはセフィロスに向き直り、次の決まり文句を発しようと口を開いたところで、突然クシャッとラフな笑顔を作って声を上げた。。
「社長!」
つられるようにセフィロスも後ろを振り返ると、そこには懐かしい人物の笑顔があった。

「ハーグローブ先生」
「やっぱりセフィロス君だったね。今日はちょっと雰囲気が違うんだな。後ろ姿だけでは声をかける自信がなかったよ。おっと!階級で呼んだほうがよかったかな?」
わざとからかうようなことを言う男の右手を、破顔したセフィロスは熱意を込めて握り返した。
「いえ。どうか今まで通りで。今日はプライベートですし」
「そう、それに今日のところは、スミス君……だったよね?…フフフ」
 セフィロスは苦笑しながら素通し眼鏡のフレームをちょっと持ち上げた。
変装というには手軽すぎるが、今日の装いにはすぐに正体を悟られない程度の工夫をしている。旅行中、あまり人の印象に残りたくないし、乗客名簿に名前が残るのも避けたい。クラウドとふたりでミディールまで出掛けることを内密にしておきたいからだ。
長い髪を後ろでひとつに束ね、白っぽいブルーグレーのコートの襟を立てマフラーの中に隠してしまう。そして、眼鏡をかける。たったこれだけのことで、意外なほど正体がばれない。
『セフィロスとは銀髪をなびかせた黒いロングコートの軍人だ』という一般人の固定概念に助けられているのだ。人間の認識というものは案外そんな程度のものらしい。
今日は図らずも、数年ぶりに会う知人を躊躇させるほどの効果を、実際に確かめることになったわけだ。

ハーグローブは神羅防衛大学で航空学の教鞭をとっていた人物だ。かつてセフィロスもその講義を受けていた時期があった。
実習に重きを置いた彼独特の授業スタイルは、学生たちにはずいぶんと受けが良かったが、大学教授という枠には収まりきらない破天荒な個性が、彼を学内で どこか落ち着かない存在にしていた。大学を辞職し、プレジデントから巨額の出資を受けて航空会社を設立したという話を聞いた時には、むしろ納得できたのを覚えている。
「今日はフライトを?」
「いや、ガネーシャを見に来たんだよ。我が社の稼ぎ頭だからね」
「美しい飛空艇です」
「ありがとう。ところで、君のお連れを紹介してくれるかい?」
セフィロスの傍らに大人しく控えていたクラウドは、自分のことが話題になったとみて、一歩前に進み出た。
「クラウド・ストライフです。神羅防衛大学附属学校基礎科3年生です」
「これの家族から依頼されて、俺の手元から通わせています」
セフィロスはクラウドの自己紹介を引き取って付け加えた。こころなしか頬が緩むのを自覚して、少し慌てた。
「ほう……」
ハーグローブはクラウドの顔をじっと見つめた。クラウドは緊張した面持ちで直立の姿勢を崩さず、その視線を受け止めている。
「セフィロス君から直に色々教われるとは、幸運な少年だね」
「はいっ!」
クラウドは満面の笑みを浮かべて元気よく返事をした。さっきまで青ざめていた頬がパッと紅潮して輝く。セフィロスはその表情を横目で眺めながら、言葉を継いだ。
「俺にとっては、初めてできた家族…のようなものです」
ハーグローブは驚いたようにセフィロスを見上げ、そして大きく頷いた。
「クラウド君、3年生なら航空学関連の授業も少しは受けているかい?」
「はい。航空力学の基礎講座を受講しています。ほかに、ジュノンの空港で整備の実習が3回、それと飛空艇シミュレーターでの操縦訓練を一度受けました」
「だったら、丁度いい機会だ。艇長に頼んでおくから、コックピットで実際の操縦を見学するといい。ガネーシャに搭載されている航行システムはこれからの主流になる。ジュノンのシミュレーターはゲルニカのものだから、基本は同じだよ。いい勉強になるだろう」
「はいっ!ありがとうございます!」
「先生、お気遣い恐れ入ります」
セフィロスは軽く頭を下げた。クラウドの喜ぶ様子が何より嬉しかった。
「クラウド、先生は数年前に神羅防衛大学を辞されてこのミッドガル・エアシップ・カンパニーを設立されたんだ」
ハーグローブは言い訳するように頭を掻いた。
「ビジネスはむしろ大学で教えるよりも性に合っているんだが、ときどき現場が恋しくなってね。こうして空港に遊びにきているんだよ」
「セフィロスの先生でいらしたんですね!お会い出来て嬉しいです」
「今回のミディール行きも急に決まっただろ? 先生にお願いして特別に便宜を図って頂いたんだ」
「ふふ、別に構わんよ。気にしないでくれたまえ。ス・ミ・ス・君!」
からかいを含んだ小声でそっと囁くと、ハーグローブは素早くウインクしてみせた。
「神羅の英雄にひとつ貸しだな。いい旅を!」
片手を上げてクルーたちの集まる場所へと歩いて行くハーグローブの後ろ姿を見送りながら、セフィロスは苦笑した。

*****


ガネーシャにはマホガニー材をふんだんに使った豪奢なメインルームといくつかの個室があった。個室が確保できなかったのを残念に思ったが、今回は急なオーダーを入れたのだから仕方が無い。
乗客たちはそれぞれ指定されたシートに落ち着き、笑いさざめきながら離陸を待っていた。
シートベルトを装着するように促すアナウンスが入った。今までの飛空艇よりも素早い上昇が可能になった分、安定した飛行体勢に入るまではシートベルトを締めている必要があるのだという。
「軍の飛空艇と同じシステムなんでしょ?シートベルトなんて見かけたことないけど…」
不思議そうにクラウドが話しかけてきた。もちろん、軍用艇には今腰掛けているような身体全体を包んでくれる質の良いリクライニングシートも存在していない。
「乗客の安全を考慮してのことだろう。老人や子供もいるからな」
「そっか、そうだよね」

突然、船体の振動が大きくなった。クラウドの表情がサッと曇る。いったんほぐれていた緊張が甦ってきたらしい。
セフィロスはアームレストから手をのばし、クラウドの手を取った。身体がシートに押し付けられるような独特の重力を感じると、クラウドの手のひらはじわりと冷たく汗ばんだ。
「しばらくの辛抱だ。上昇にかかる時間は約15分だからな。安定航行に入ったら船内を見て回ろうか」
「ごめんね、セフィロス。いつも心配ばかりかけて」
セフィロスは自分の手の中にある白い手を、キュッと強く握った。

乗り物酔いのひどいクラウドに飛空艇での旅は酷な話だった。が、ミディールまで行くには飛空艇か船かどちらかを選ばなければならない。どうせどちらも辛いなら、すこしでも足の速い飛空艇がいいだろうと、このガネーシャを選んだ。狭苦しい艇内に押し込められる軍事演習の移動とは違い、ゆったり過ごせるガネーシャなら、いくらかでも症状が軽くなるかもしれない。
クラウドの気持ちを紛らわせるのに、今から訪れるミディール周辺の潮流の話をしようか、それとも航路と偏西風の関連についての話をしようかと思いめぐらせる。
が、結局口をついて出たのは、乗り物酔いを気遣う言葉だけだった。
「成長とともに症状は軽くなる。回転、加速などの動きに慣れるように訓練すればかならず克服出来る。あまり気にしすぎるな」
「うん」
しかし、乗物酔いは理屈ではない。強ばった顔をして天井を見つめているクラウドの頬はどんどん青ざめていった。
出発前、飛空艇に乗り込んだらスリプルで眠ってしまうか、抗ヒスタミン剤でも飲んでみるかと持ちかけてみた。しかし、それではいつまでたっても慣れることができないから、と本人が首を縦には振らなかった。
長期的に考えれば、それは正しい判断なのかもしれない。ただ、隣のシートでつらそうに目を閉じている姿を目の当たりにしている今は、その生真面目な克己心を恨めしく感じてしまう。

やがて、飛空艇は上昇を終えて水平飛行に切り替わった。シートベルトを外すよう、客室乗務員が通路を巡回して伝え始めた。
「スミス様、ベルトを外して楽になさってくださいね」
クラウドはさっそくシートベルトを外して盛大にため息をついた。
「あとで、レモネードをお持ちしますね。すこしはスッキリすると思いますよ」
フローラは体調を気遣うように、にっこり微笑んで歩み去った。
セフィロスはクラウドの顔を覗き込む。
「どうだ?」
涙がにじみ、焦点の定まらない瞳を向けられては返事を待つまでもない。それでも心配をかけまいと必死になっているのだろう。作り笑顔を青ざめた顔に浮かべていた。
「デッキに出てもいいかな?」
クラウドは掠れた声を絞り出した。
「動いて大丈夫か?」
「うん。風にあたるとマシになると思うんだ」
「なら、行ってみようか」

ちょうど通路を戻ってきたフローラにデッキへの出口を聞き、教えられた階段を上る。
ふたりの傍らを5、6歳の男の子が駆け上がって行く。
「に〜に、まって〜」
小さな女の子が階段の下から見上げるようにして男の子を呼んでいた。手摺に手をのばしてつかまり、一段上る。階段の上にを再び姿を現した男の子は、風のように駆け降りると小さな女の子の手を取った。今度は妹の歩調に合わせて一歩ずつ階段を上がっている。
幼い兄弟の様子をぼーっと見ていたクラウドの腕を軽く引いて階段上の通路を進み、セフィロスはデッキへと続く扉を押し開けた。

強い風が吹き付け、一瞬視界を奪われる。セフィロスの脇腹に顔を押し付けるようにして風を逃れたクラウドを、コートの中にかくまうように入れこみ、腕でしっかり抱いた。
「むぐぅ…息苦しいよ」
「文句を言うな。俺を風よけにしたくせに」
「だって!……(クスクス)……丁度いいところに、丁度いい大きさのセフィロスがいるから」
「こいつ!」
コートの中のクラウドの頭を軽くロックしながら、デッキの端っこまで大股で歩いた。クラウドはモガモガと何か言いながら転がるように走ってくっついてきた。

欄干のところまで来ると、クラウドの顔をコートの中から出してやる。
「プファー!」
まるで水に潜っていたかのように大げさに息を吐くと、クラウドは感嘆の声を上げた。
「うわ〜!きっれいだね〜!」
カームの街はすでに小さくなっていた。朝靄に包まれた街は全体が紗を掛けたように白っぽく輝いたていた。見おろしているその間にもキラキラとした水蒸気は消えてゆき、晴れ渡った空と同じように明るさを増していく。
目を転じると、進行方向には小さくミッドガルの街が見えていた。遠景にも一目でそれとわかる巨大な円盤。8つの魔晄炉からは休みなく蒸気が噴き上がって いる。そして、中央には赤い神羅のロゴマークを掲げた巨大なビルが天をつくようにそびえていた。
「やっぱり……ミッドガルってすごいよね〜」
「すごい?」
「うん。だって、こんなに立派な都市は世界中見渡してもここだけでしょ? こうやって遠くから見渡すとミッドガルって本当に大きいよね」
「確かに」
「ミッドガルの建設が始まったのは10年ほど前なんでしょ? 完成にはあと少しかかりそうだけど、これほど大きな都市ができるまでの期間としては短くない?」
「そうだな」
相づちを打ちながら、セフィロスはクラウドの素直な感動とは異なる想いを胸に抱いていた。
(だが、きわめて不自然だ。このグロテスクな姿は一体何だ?)
感嘆の声を上げるクラウドにわざわざ自分のネガティブな想いを聞かせることもない。
セフィロスは眼下に広がる光景から胸元で揺れるクラウドの頭に視線を落とした。かがむようにして顔を金色の髪の中にうずめて大きく息を吸い込む。
(ここにはいつも日だまりがある───)
成長期の少年の持つ溢れるようなエネルギーが、若草にも似た甘い匂いと心地よい温度を伴って鼻孔から体内に入り込む。こうしていると、胸が締め上げられるような幸福感がセフィロスの心を満たし、わだかまっていたものが霧散する。

クラウドはじっとミッドガルの光景に見入っていたが、わずかに身じろぎすると言った。
「風にあたったらちょっと楽になったかも」
セフィロスはクラウドの顎に手をかけ上を向かせた。まだまだ青ざめた頬の色は戻ってはいない。おおかたセフィロスを心配させまいと気を回しているのだろう。
「コックピットに行ってみるか?」
「うん」
クラウドをコートの中から一度も出さないまま、セフィロスはデッキを後にした。

*****


「フローラさん!」
スタッフルームを覗いたクラウドは嬉しそうな声を上げた。
「あら、スミス様。どうかなさいましたか? 今飲み物をお持ちするところでしたのに」
大きなワゴンにはソフトドリンクや酒のボトルをはじめ、何種類もの茶葉やコーヒーがセットされていた。ガラス製のドームをかぶせた大皿にはカットされたケーキも見えている。
フローラは熱い湯を手早く何本ものポットに詰めていた。
「あれ? フローラさん、1人なんですか?」
「いえ、そうじゃないんですよ。たまたまみんな出払ってしまったみたいで…。みんなお客様につかまっているのかしら? 大丈夫ですよ。すぐにお持ちしますから」
「あの、オレ、コックピットに行ってもいいでしょうか?」
「はい、もちろんです! 社長の特別許可がありますからね」
フローラはいたずらっぽく笑い、おどけた声を出した。
「本当は一般のお客様の立ち入りは厳禁なんですよ〜。ご案内いたしますね。こちらへどうぞ」

狭い通路を船首の方に向かっていくと、金庫のようなハンドルの付いた厳めしいドアが見えた。
「物々しいドアでしょ?でも、実は、鍵はかかってないんですよ」
フローラは重いドアに肩をあてて体重をかけるようにして押し開いた。
「さあ、どうぞ」
ドアを押し開けた体勢のままフローラはゲストを先に通らせるべく身体の位置をずらした。フローラの身体からは甘い焼き菓子の香りが漂っていた。
そっと様子をうかがうように躊躇っていたクラウドが、思い切ったように勢いよくドアをくぐった。続いてセフィロスも何気ない動作でコックピット内に足を踏み入れた。
その瞬間ゾワリと異様な気配を感じて、思わずクラウドを引き止めようと腕をのばした。
手が宙をつかむ感覚に、セフィロスは総毛立つ。
確かに目の前にいたはずのクラウドの姿が掻き消えていた。
異様な静けさに包まれたコックピットの正面で、クラウドを後ろから羽交い締めにしているのは、上質なカシミアのスーツに身を包んだ男だった。浅黒い肌に彫りの深い整った顔立ちのなか、暗い光を放つ瞳がセフィロスをじっと見つめていた。
セフィロスは後ろ手に重いドアを閉ざしつつ、背後のフローラに「入ってくるな。ハイジャックだ」と告げた。

(セフィロス…)
驚愕に目を大きく見開いたクラウドの唇が、自分の名を呼ぶ形に小さく動いた。
今はハッキリとわかる不穏当な気配は、フローラがドアを開けた時点では完全に隠されていた。五感が鋭く殺気に敏感なセフィロスが気づかないほどに気配を殺すことができる人間は珍しい。
ジリッと足を前に進めると、同じ距離だけクラウドが引きずられて後退した。
足下に違和感を感じて顔を巡らせると、部屋の片隅にキツく縄で縛められた乗務員たちが転がっていた。何人かの男性乗務員が制服を赤黒く染めている。セフィロスの足下まで流れ出した血はすでにぬるりと凝固を始めていた。フローラ以外の全ての乗務員がここに囚われていたのだ。
コックピットを占拠した男は、片手でクラウドの喉を締め上げながら、もう一方の手でハンドガンをもてあそんでいた。クルクルと銃を回したかと思うと、銃口をピタリとセフィロスにむけて止めた。

「何をしにきた?」
「……」
 セフィロスは沈黙で応える。クラウドが苦しそうに喉を鳴らした。
「う、セフィ……」
「動くなよ?食い込むぜ」
セフィロスはタイミングを計っていた。
クラウドは先ほどから『いつでもOK』と目で訴えている。セフィロスが行動を起こしたとき、男の拘束を逃れることが出来るというのだ。
だが心配の種は二つある。部屋の隅に転がされ、ピクリとも動かない乗務員たちを見て考えた。気を失っているのか、死んでいるのか判然としない。男が、いつ銃口をクラウドや乗務員たちに向けるかわかったものではない。確実に自分に向けて発砲してくれなくては困るのだ。
セフィロスが男を倒す前に放たれた弾丸が、万が一にも彼らを傷つけることを避けたい。
そしてもうひとつは、管制がすでにハイジャックの情報を得ているかどうかだった。

「この飛空艇をジャックして、どうするつもりだ?」
セフィロスは静かな口調で男に問いかけた。
「知ってどうする?」
男は再び拳銃をくるくると回し始めた。
「お前の要求に応えられるかもしれない」
「……あんたがか? …それは無理だな」
男の暗く光る目は、まばたきが極端に少なかった。射抜くように凝視し続けたかと思うと、話している途中に突然、瞳孔が開いた空洞のような目になる。
「聞いてみなければわからないだろう?」
「まあいい。ちょうど一仕事終わって退屈していたところだ。冥土の土産って、よく言うしな。神羅を……ぶっ潰すのよ」
「お前……アバランチなのか?」
「アバランチ?なんだ……星命学とかで、神羅とやり合ってるグループだったか?」
セフィロスは頷く。
「違うのか」
「俺は違う。俺にはあんな屁理屈をこねる連中の気が知れないね。俺はただ、神羅をぶっ潰したいだけさ」
「ガネーシャは神羅の飛空艇ではないぞ」

初めて男の顔に表情らしきものが浮かんだ。笑っているのか、唇と頬が引きつったように斜めに歪んでいる。
「ふふ、そんなことはわかってる。別に神羅の飛空艇じゃなくてもいいんだよ。今朝飛び立ってくれさえすれば、でっかい飛空艇ならなんでも良かったんだ」
「……?」
男は腕を大きくあごを振り、巨大なフロントガラスの向こうに広がる風景を示した。
「まっすぐ行くと、何がある?」
飛空艇の進行方向にはまさにミッドガルの中心部が見えていた。ガネーシャの航路はミッドガル上空を通過しなかったはずだ。
「まさか……衝突させるんじゃ……」
クラウドが怯えを含んだ小さな声でつぶやいた。
「ふっふっ…さすがに金持ちの子は頭もいいんだな。正解だよ。俺たちはこれから全員であの神羅ビルに突っ込む」
セフィロスは目の前がグラリと傾くのを感じた。
(狂人か───)

「この飛空艇は自動航行システムを採用しているはずだ。どうやって針路を変えた?」
「そこで、腹から血を流しているヤツがパスを教えてくれたさ。神羅ビルに向かってまっしぐらに突き進むようプログラムを書き換えた。…ふん、あと何分で神羅ビルに到着するのか確かめておけばよかったな」
「お前……自分自身の命を投げ出すのか?」
男の顔に明らかな苛立ちが現れた。
「ふんっ!こんな命、惜しくもないねっ!いいか? 神羅っていうのはな。自分たちで作った病原菌をバラまいて、その薬を売って儲けるような、そんな悪どい企業なんだぜ?」
「馬鹿な。病原菌をバラまくだと?」
「あ〜あ、やってるに違いないね。魔晄炉だってそうだ。魔晄エネルギーが無きゃ生活出来ないようにしておいて、じりじり値上げするんだぜ?」
セフィロスは胸の中の澱みから何かが湧き上がるのを感じた。この男の狂った戯れ言に共感する自分がどこかに存在している。似たような疑念が頭をよぎったことがないとは言えなかった。

男はセフィロスの胸中を見透かしたかのように、二ヤリと笑った。
「さあ、この飛空艇があのビルに突っ込んだらどうなると思う? あのビルの高いところにいるんだろ? 腐った金で肥え太った豚どもがっ!」
男は銃把でコンソールをがつんと叩いた。男の身体から狂気をはらんだ殺気が立ちのぼった。
「お前の掲げる大儀はわかった。だがその理想のために乗客の命、ミッドガルの多くの市民の命、そしてお前自身の命を犠牲にするというのか?」
「ああ、そうさ!彼奴らには命で購ってもらいたい貸しがある!彼奴らは……俺の姉さんを攫っていったんだ!そして、そして姉さんの身体を使って人体実験をしやがったんだ!」
(人体実験だとっ?!この男は何を言ってるんだ……妄想なのか……?)

歪んだ妄想の世界にいるかもしれない男を前に、セフィロスは大きくひとつ深呼吸をすると、根気よく言葉を続けた。
「しかし……、それでは神羅を潰し切ることはできないぞ? 壊れたビルは建て直せばいい。減った人口は移民を受け入れればいい。プレジデントにはしっかり者の跡継ぎもいる」
「ふんっ……。プレジデントと研究所の奴らさえ死んでくれればいいんだよ……。そして、俺もな……。姉さんを助けられなかった俺も……死んでしまえばいいんだ…生きていても仕方がないんだ……」

(なるほど、そうか。これは大掛かりでハタ迷惑な自殺…ということだな。殺気の放出が気まぐれで、まったく感じられない瞬間があるのは、そういうわけか……)
「お前の言いたいことはわかった。飛空艇もろとも全員が死ぬ。その通りになるだろう。だがな、お前の真の目的は達成出来ないぞ」
男がまなじりを吊り上げて吼えた。
「何を今さらっ!この飛空艇はもう誰にも止めさせねえ!」
「いや……。ガネーシャが予定の航路を外れたことは、すでに管制の知るところとなってる。そして、ハイジャックに遭遇したことも客室乗務員が通報済みだ」
「それがどうした? 知られたって何の不都合もないね」
「お前、神羅を悪しざまに言っていたが、まだまだプレジデントを甘く見ているな。ヤツは自分を守るためなら、ガネーシャの乗客の命など顧みることはない。 おそらく……ミッドガルに配備されている地対空ミサイルの射程内に入ったら……ガネーシャは撃墜される」
「なにっ!?」

男はクラウドを引きずるようにしてフロントガラスに近寄り、ミッドガルの街並を見つめた。
「ち、ちくしょう……。そんなはず、あるかっ!」
振り返った男の目は憎悪に燃え、激しい興奮に肩を震わせてセフィロスを睨みつけていた。クラウドの首にしっかりと腕を巻き付けたまま、ハンドガンをセ フィロスに向けた。男の肩の筋肉がグッと盛り上がり、引き金にかかった指に力がこもる。転瞬、セフィロスは天井近くまで跳躍し、男の顔面に向かって足を蹴り出した。
セフィロスに向かって放たれた弾丸は、重い木製のドアを深く穿って止まる。
仰向けにもんどりうって倒れた男に馬乗りになったセフィロスは、素早くハンドガンを取り上げてみぞおちに拳を叩き込む。くるりと男の身体を裏返すと、両手を背中側でまとめて縛り上げた。
クラウドはセフィロスが跳躍した瞬間に、男の手からツルリと抜け出していた。喉を押さえてうずくまっている。
セフィロスは乗務員たちから離れたところにハイジャック犯を放るようにして転がした。肩を強く床に打ち付けて男がうめき声を上げる。
男は、自分が一度も銃口をクラウドに向けなかったことで命を永らえているのだとは気づいていない。

「そこで大人しく撃墜される時を待つんだな。自分の蒔いた種だ。どうなっても文句はないだろう?」
「クッ……」
男は後ろに縛られた手をもぞもぞと動かした。
「ス……スリプルッ!」
室内に魔力が充満する。


「ゲホッ、ゲホッ……そうか、マテリアを持ってたんだ。乗務員たちにはスリプルを使ったんだね?」
膝をついて咳き込んでいたクラウドが締め付けられていた喉を擦りながら立ち上がった。
「ど、どうして効かないっ!?」
「その程度の魔力でオレたちを眠らせられるなんて、笑わせないでよ。ね、セフィロス」
「セフィロス……? 神羅のセフィロス……なのか……」
男は驚きと落胆の入り交じった顔を見せると、身体の力を抜き、頭をがっくりと床に落とした。男の尻ポケットから『ふうじる』のマテリアが、コロコロと転がり落ちた。
セフィロスはクラウドを抱き起こすと、ジーンズに付いたホコリを払ってやった。
「中学生にも効かないとはお粗末なことだな。いたずらできないようにもう少し厳重に縛っておこう」

*****


「さて、クラウド。これからが本番だ」
セフィロスはコンソールに向き直った。手をこまねいて神羅ビルに激突させるわけにはいかない。
幸いガネーシャの航行プログラムはまだ開いたままで、パスも生きていた。基本がゲルニカと同じだというのでおおよその見当をつけると、セフィロスは指と目を忙しく動かした。
ポーンとやわらかなビープ音が響いて、自動制御が解除された。とにかくマニュアル運転が可能になればそれでいい。
セフィロスは操縦輪を掴むと右いっぱいに回した。船体がグンと右に傾いて目の前の風景が大きく入れ替わっていく。ふと、クラウドの乗り物酔いが心配に なって少年の姿を探すと、倒れた乗務員のところで応急手当を始めていた。ケアルを使う魔力の気配が立ちのぼっている。
急激な旋回をうけてガネーシャは左右に細かく震え始めた。セフィロスは急いで左右の補助翼を微調整して船体を安定させた。このまま直進すれば、ミッドガルから遠ざかり海上に出られる。
だが問題はこれだけではなかった。操縦席から背後を振り返り、クラウドを手招きした。

「乗務員の様子はどうだ?」
「傷の手当は済んだよ。でも、すごく強いスリプルがかかちゃってるみたい。だれも目覚めないんだ」
「仕方がないな……。では、クラウド。ここをお前に頼む」
「え?頼むって?」
数々のデジタルディスプレイが並ぶコンソールを目の前にして、クラウドはキョトンとしていた。
「あと10分もすれば地対空ミサイルがガネーシャを追ってくる。それをなんとかしないとな」
「地対空ミサイル……って!あの人に言ってたことは本当だったの!?」
「もちろんだ。神羅のプレジデントとははそういうヤツだ。」
セフィロスは冗談めかして言ってみたが、クラウドの表情がほぐれることはなかった。
「だって……、ガネーシャが神羅ビルに突っ込もうとしていたことまでは、知らないでしょう?」
「これを見てみろ」
セフィロスはコンソールパネルの片隅でゆっくりと明滅するランプを示した。
「送信終了……?」
「制御パスを強制解除した場合、ボイスレコーダーが前後20分間ずつの録音データを自動的に送信するんだ。つまり……」
セフィロスは時計を確認してから言葉を続けた。
「神羅ビルに突っ込むつもりだって言うあたりまでだな」
「ええーーーっ!!」

「フローラを呼んで管制との通信を任せる。クラウド、お前はガネーシャをできるだけ低空飛行させてミッドガルから離れろ」
「ええ〜〜っ!そんな……低空飛行って……オレ、オレ……」
「計器の見方は知っているな?」
「え?うん、わかるよ」
「なら問題ない。操縦輪でできる操縦だけだ。離陸も着陸も必要ない」
「でも、実機を飛ばした経験はないんだよ?」
「クラウド、よく聞け。神羅軍で最新の地対空ミサイルは、電波ビームをターゲットに照射し、その反射波を検知して目標を追尾する。わかるか?」
「う、うん」
「ここに山でもあればその陰に隠れてしまえば無効化出来る。これはわかるか?」
「うん、わかる」
「だが、ここには逃げ込める山がない。そこで、星の丸みを利用してビームを遮蔽してしまいたいんだ。だから、できるだけ速度を落とさず、低空で距離を稼いで欲しい。すでに追尾を始めているものは俺が潰してくる」
「セフィロス……」
「大丈夫だ」
「オレ、オレ……」
「シミュレーターを使って訓練したことがあるだろう?……同じだ。高度と速度のバランスに注意すること」
「でも、でも!セフィロス!」

涙のにじんだ瞳で見上げるクラウドは激しく動揺していた。だが、決して「嫌だ」とも「できない」とも言わなかった。
クラウドの背中に手をまわして抱き寄せ、柔らかい頬を胸に押し付けるようにして腕に力を込めた。
「大丈夫だ、クラウド。お前ならできる」
心音を聞くかのように胸に耳を押し付けてじっと目を閉じていたクラウドが、ゆっくりと身体を離した。
「わかった。オレがやるしかないんだよね。さ、セフィロスは早く上に行って!」
さすがに引き締まった顔には笑みは見当たらない。セフィロスは金髪の中に指を突っ込むと、クラウドの頭をグルリと一周回した。
ちらりと視線を走らせたレーダーの端っこに小さな明滅する点が現れたのを見て取ると、サッと踵を返してコックピットを後にした。

*****



スタッフルームを覗くとフローラが見当たらなかった。客室に急ぐ。
「お客さま、どうかなさいましたか?」
ぎこちない笑顔を浮かべたフローラが、小走りで通路をこちらに向かってきた。
「スミス様〜!だ、大丈夫ですか?一体何が?」
フローラはたった一人の客室乗務員として、心配と不安を押し殺してテキパキと仕事をしていたようだ。乗客の間に不穏な空気はなく、誰もガネーシャが陥っている深刻な事態に気づいていないのはありがたかった。
「こっちも一人で大変だったな。ここに誰もいなくなるのは気がかりだろうが、コックピットへ行って欲しい。操縦はクラウドに任せてある。管制との通信を頼みたいんだ。詳しい話はクラウドに聞いてくれ」
セフィロスが励ますように細い肩をたたいて、コックピットへ向かって押し出しすと、フローラは転がるように走りだした。
セフィロスは乗務員用のエレベーターを使って最上階へと急いだ。個室のドアが続く長い廊下を最後尾に向かって走り抜け、再び乗務員用のエリアに滑り込んだ。

ガネーシャがゲルニカの基本設計を踏襲していたことが様々な面で幸いした。予想通りの場所に現れた整備用のハッチから、セフィロスはガネーシャの短いシッポの上に出た。
背後からの強い風が長い髪をはためかせ、髪を結わえていた細いリボンがさらわれていった。
朝日がガネーシャの真後ろに位置していた。逆光に射抜かれた瞳をかばうように目を細めると、垂直尾翼を挟むように黒い小さな影を見つけた。
(…あれだな)
セフィロスは丸みを帯びた船体の上を滑るように尾翼に向かって走った。途中、足下が何度かふわりと浮いてバランスを取り直す。クラウドが段階的に高度を下げているのだろう。
(速度も上がっているか。クラウド、上手くやっているな)
黒い塊は鈍い光を反射しながらぐんぐんと距離を詰めてきた。尾翼の上に足場を固めたセフィロスは、サンダガの詠唱に入った。距離が遠すぎても狙いが付けにくい。かといってのんびりしていてはミサイルに追いつかれてしまう。
狙いすましたところで、目視できたミサイル4発にサンダガを浴びせた。

 ピリリリ……バリバリバリ!ズガガーーーーーンッ!!

雷の形をとったセフィロスの魔力は一瞬にして4つのミサイル弾頭を粉砕し、蒸発させた。それでもなお有り余ったエネルギーが空気中から水蒸気を呼び集め、黒い雷雲を発生させた。パリパリと乾いた音を立てながら、黒い雲がゆっくりと成長して風に流されていく。
その雲をつんざくように新たな2発の弾頭が姿を現した。セフィロスは間髪を入れずにもう一度サンダガを発動した。最初の4発よりも飛空艇に近いところでの爆発が起こり、細切れになった弾頭の鋭い欠片が船体とセフィロスに襲いかかる。
爆風にあおられてガネーシャの船体は尻を持ち上げた不安定な状態となった。垂直尾翼を盾にして降り注ぐ欠片をやり過ごしたセフィロスは、しばらくその場にとどまり新たなミサイルの飛来がないことを確認した。60秒カウントして何事もないことを確かめたとき、眼下には波立つ海面が広がっていた。やっと安全圏まで来たのだ。
セフィロスは激しく振動するガネーシャの背中を跳ぶように駆け戻り、クラウドの元へと急いだ。

「クラウド!」
セフィロスがコックピットの重いドアを蹴破るように開くと、クラウドの小さな後ろ姿が操縦輪にぶら下がるように齧りついているのが見えた。傍らではフローラがヘッドホンを強く耳に押し付けるようにして通信機に向かって声をからしていた。
爆風によって不安定になったガネーシャはすでに安定した飛行体勢を取り戻している。クラウドがそれほど必死で操縦輪に齧りつく必要はないはずだ。
「セフィロス〜〜!」
くるりと後ろを振り向いたクラウドは今にも泣き出さんばかりの顔をしていた。
「クラウド?」
大股でコックピットを突っ切り少年の側に寄る。
「手が……手が……離れないよ……」
クラウドの手は強力接着剤でも付けたかのようにがっちりと操縦輪に貼り付いていた。
「もう、大丈夫だから……さっきから手を離そうと思ってるのに……とれないんだ」
「クラウド……」
必死の形相をいまだに顔面に残したクラウドの頬は紅潮し、目にはうっすらと涙が溜まっている。肩に手を当ててみると、筋肉がガチガチに強ばっているのがわかった。
(緊張して頑張りすぎたのか……。可哀想だったな)

セフィロスはクラウドの肩に手をかけたまま、ヘッドホンを外したフローラに声をかけた。
「フローラ。管制とは話せたか?」
「はい!たった今、こちらの状況を理解してもらえました。神羅軍のほうとも連絡が取れて、ガネーシャへのミサイル攻撃は中止されたとのことです!」
「そうか。大変だったな。ありがとう」
「あ、それから、犯人の男には神羅カンパニー側で心当たりがあるそうです。何度かトラブルがあったらしく、神羅研究所の職員相手に妄想を口走ったり、傷害事件も起こしているらしくて。…いまは、カームの病院で精神鑑定のために入院しているはずだったとか…」
「そういうことか…。ときに、フローラ。さっき、船が大きく揺れただろう? ケガ人はいないようだったが、乗客が心配そうにしていた。客室の様子を見てきてくれないか?他の乗務員たちが働けるようになるにはまだしばらく時間がかかりそうなんだ」
セフィロスはコックピットの片隅で眠り続けているクルーたちを示した。
「みんな……、大丈夫でしょうか?」
「スリプルが解けるまでに、ある程度時間がかかるからな…。まあ、ミディールに着くまでには起きてもらわないと困るがな。それまで一人で大変だろうが……」
「はい!任せてください。頑張りますよ〜。戻ったらハーブローブ社長にたっぷりボーナスもらいますから!」

フローラが元気よく出て行くのを見届けるとセフィロスはクラウドに向き直った。
「大きく息を吐いてみろ」
クラウドはいわれた通りに深い呼吸を始めた。
「フーゥ、ハー、フーゥ……」
セフィロスはクラウドの強ばった肩のほうから、二の腕、手首と順にゆっくりと撫でていった。操縦輪を掴んだ指を無理に引きはがすと痛みを与えてしまいそうだ。手の甲から指まで何度もゆっくりと擦ってやる。
セフィロスの言葉を素直に信じて頑張り抜いた少年の横顔に、愛しさがこみ上げてる。愛しいと思う気持ちは泉の水のように喜びとなってセフィロスの心をあふれ出し、最後に笑い声となって飛び出した。
「クックック……」
「笑うなんて、ひどいよ……」
「よく頑張ったな」
クラウドの手ごと片手で操縦輪を掴むと、もう片方の手でクラウドの顎を捉え、こちらを向かせた。誉められたことが嬉しいのか、涙の滲んだ瞳は宝石のようにキラキラと輝き、口元は柔らかくほころんでいる。飛空艇を操縦するという初めての体験に興奮が冷め切らず、頬はバラ色に上気したままだ。
(…クックッ……まったく。こんなクラウドは誰にも見せられないな)
「あ、あのね、セフィロス。乗物酔い……どこかに行ってしまったみたい」
「そうか、それはよかった。これから旅をする時には、いつもクラウドが飛空艇を操縦するといい」
「そんな!いつもこんなんじゃ、身が持たないよ〜」

セフィロスは唇の端をすこし吊り上げ、薄く笑みを浮かべると、ゆっくりとクラウドに顔を近づけた。クラウドは一瞬不思議そうに眉根を寄せたが、すぐにセフィロスの意図を察して青い瞳をまん丸に見開いた。
「ちょっ……待って!セフィロス!そ、操縦………んっ……」
パクパクと忙しく動いて抗議の言葉を続けようとした桜色の唇に、そっと自分のそれを重ね合わせる。顔を後ろに引いて逃れようとするのを、後頭部をがっちりとホールドして阻止する。
薄い皮膚をとおしてふれ合う唇の柔らかさを確かめるように軽くすり合わせたり、押し付けたりしたあと、セフィロスはクラウドの唇を舌でゆっくりとなぞった。
クラウドはブルッとひとつ大きな身震いをしたあと、目を閉じて全身の力をがっくりと抜いた。操縦輪を固く握りしめていた手の力も緩み、いつの間にかセフィロスの背中に巻き付いていた。
セフィロスはクラウドに口づけたまま、何面かのディスプレイを確認した。左手を伸ばし高度と針路をコントロールする。
「セフィ……、操縦…しなきゃ…」
「大丈夫だ。1時間もすればクルーたちも目覚める」
「1時間……」
「その間、ここには……俺とお前だけだ。わかるか?……」
 セフィロスはにっこりと笑うと、再びクラウドに口づけた。力の抜けた唇を舌先で割り、本格的に甘い口腔を味わう。
クラウドはまもなく、甘く切ない色を帯びた吐息をこぼし始めた。
視界の隅で、厳重に縛り上げられたハイジャック犯が身じろぐのが見えた。彼だけはスリプルで眠りを与えられることもなく、ここで一部始終を見ていなけれ ばならない。それはある意味、法の定めた刑罰以上に重い地獄の責め苦となるかもしれなかった。
(俺たちの旅行に横槍を入れた罰だと考えれば、かなりのものを見せつけたいところだが……。クックック……。いや、案外に…生きる楽しみを見いだすかもな…)
無責任な考えがチラッと胸をよぎるが、セフィロスはすぐに彼の存在を忘れ、目の前の可愛い存在に集中することにした。
そう、生きていく理由は自分自身で見つけ出さなければいけないのだから───。

広い海の上で高度を上げ始めたガネーシャを追うものはもう何もない。
眼下には、高くのぼった太陽に照らされた白い波頭がどこまでも続いていた。

 

───恭介さまに、本作を捧げます───
(第一回オールセブンフィーバー☆リクエスト第三弾)
『Just You, Just Me』 2006.12.23 初掲 2012.04.29 再掲

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