『ウータイの皆さん、こんにちは。こちらは神羅軍広報車です。ウータイ政府は1月に停戦を受け入れました。戦争は終結しています。武器を捨ててください。あなた方の街の復興作業にご協力ください。また、避難している住民の皆さん、戦争はすでに終わっています。神羅軍から皆さんを攻撃することはありません。安心して元の住居にお戻りください。広場で援助物資をお配りしています。ウータイの皆さん、こんにちは。こちらは神羅軍広報車です…………』
うららかな日差しの中、クラウドの所属する分隊はジープ2台とトラック1台に分乗してのどかな田舎の村をゆっくりと巡回していた。村の中はひっそりと静まり返っていた。すぐそこまで迫る山の色合いは白っぽく沸き立ち、新芽の萌えはじめる気配を感じさせた。
クラウドは学生隊の一員として今回のミッションに参加していた。配属された分隊は、ウータイ中央部の山間に点在する小さな村をまわっていた。避難している住民に戦争の終結を伝え、普段の生活に戻るように促す広報活動を担当していた。
村の広場に停車し、住民支援用の物資をトラックから降ろす。木箱の側面にはウータイ語で『食糧』と大きくプリントされていた。
しばらくするとどこからともなくポツポツと人が集まって来た。神羅軍の兵士の姿に疑いの目を向けながらも、食糧の詰まった木箱の誘惑には勝てないと言ったところだろうか。
こんなとき、クラウドとライオネルのふたりはわざとヘルメットを脱いで笑顔を見せることになっていた。神羅軍学生隊から実習に来ているふたりは14歳だ。まだ幼さの欠片が残る容貌は、住民の心を幾ばくか和らげるのに役立っていた。
ウータイの首長が神羅軍への降伏を宣言してから、3ヶ月が経とうとしていた。ウータイにとっては、これ以上の国力の消耗を避けるための苦渋の選択だった。ミッドガルを盟主とする連合軍との和平条約に調印するというのは形の上でのことだ。それは事実上、神羅カンパニーの軍事的・経済的支配を受け入れるということだった。
しかしながら、国土に平和が戻れば自ずと国力も回復するだろうというウータイ政府の目論見は大きく外れることになった。降伏を受け入れることを潔しとしない多くの国民が、いまだ山野に潜みゲリラ活動を繰り返していた。
クラウドたちが担当する広報活動は、そのゲリラと一般避難民を区別するためにも必要なことだった。
───子供たちの可愛らしさはどの国でも同じなんだな。
クラウドは集まって来た子供たちに、小さな木切れでブーメランを作ってやりながら考えていた。
ウータイ人が独特の価値観を持つ民族であることは多くの軍人の話から伺えた。
クラウドの見るところ、彼らは実際すばらしく頭が良く、手先の器用な民族だった。どの村の子供たちも木切れを削るクラウドの手元を見ながら、すぐにコツを覚えて自分たちでも作り始める。繊細な文化が発展し、美しい工芸品や織物は、戦争中も世界中の市場に出回って高値で取引されていた。木造の家も、庭園も見事な造形を見せている。
そして彼らは勇敢で強靭だ。古来の武道や忍術での見事な戦いぶりを見たこともある。ソルジャーにとってさえも一対一の戦いとなれば、決して侮ることのできない敵だった。
ただ、集団での行動となるとクラウドにはとうてい理解のできない行動をとる。彼らは編隊での戦闘を苦手としていた。セフィロスの書架で見つけた過去のウータイ戦役の資料を見ても、理解に苦しむようなお粗末な作戦を展開していた。ウータイ戦役は圧倒的な兵力を持つ神羅軍によってあっけなく制圧されるはずだった。それが泥沼のような長期戦と化したのには、ウータイ人の持つ個々人の戦闘能力の高さと独特の気質が大きく関わっていた。
すなわち、彼らには死への恐怖が欠如していたのだ。
敵の機銃が待ち構えている陣地に突撃せよと言われれば、唯々諾々と実行する。上官への完全服従を美徳と考えることで、死への恐怖を忘れられるというのだろうか。
「ウータイ人は死を恐れていない。」
この事実がわかるまでが長かった。常に神羅軍の予想を裏切る動きで各個撃破を仕掛けてくるウータイ軍に翻弄されていた期間、神羅軍はどれほどの戦力を失っただろうか。
いま、終戦を迎えながらもゲリラ活動を続ける多くの集団は、クラウドにとって、いやウータイ以外の人々にとって、もっとも理解しがたい存在だった。ここまで追いつめられても降伏しない根性は称賛に値するものだ。しかし、その先に決して勝利は見えない。彼らはただひたすら森に隠れ、自滅の機会を待っている───これが、クラウドの持ったウータイ人への認識だった。
広報担当とはいえ、分隊が山中を移動中に襲撃を受けることもあった。だが、敵の懐事情は悪く、重火器や戦闘用車両をもって攻められることはおよそ考えられなかった。中古のカービン銃をたよりに突撃してくるが、大概あっさりと片がついた。
クラウドたち学生にとってはそれでも貴重な実戦経験だった。いかに敵が弱くとも、何か一つ歯車が狂えば簡単に傷つき、死の淵に立たされる。
肉体的に傷つくことは、兵士になろうと決めたときから覚悟していたし、それは実際戦場に来ても変わらない。が、心の中に敵が斬り込んでくるとは思いもしていなかった。どことも知れぬ暗い塹壕、カサリとも音を立てない茂みの中からじっとこちらを伺う殺意。その存在を意識するだけでこれほどまでに消耗するものだということをクラウドは初めて知った。
───自分自身との戦い…でもあるんだな。
聞き飽きるほど聞いたフレーズを改めて実体験で上書きし、小揺るぎもしないずば抜けた胆力を持つ自分の想い人を胸に描いた。
あらかたの物資を配り終えた分隊は、午後の訪問を予定している次の村へ向けて出発した。午前中ののどかな日差しは消え、空にはどんよりとした濃い灰色の雲が次々に流れ込んでいた。
「ひと雨来そうだな。クラウド、大丈夫か?」
ライオネルは同じ学生隊から参加している数少ないメンバーの一人だ。初めて出会ったときから、人間関係に不器用なクラウドを引っ張って、何かと気にかけてくれる大切な友人だった。今回のミッションで同じ分隊に配属されて、正直ホッとしたものだ。
「うん、心配かけてごめん」
「後すこしだから、頑張れよ。あ、あれが目的の村じゃないか? リー隊長! あれがそうですか?」
身を乗り出さんばかりにして、ライオネルが声を上げた。
「おう、そうだな。おまえ、転げ落ちるなよ! クラウド、横になっていてもいいんだぞ」
「あ、いえ、大丈夫です」
乗っていたのは幌を取り払ったジープだった。ふだんより乗り物酔いもずいぶんマシだ。クラウドもライオネルの身体にのしかかるようにして左側の風景を見下ろした。うねりながら降りていく山道の先は、渓谷を流れる川の横にひらけた盆地へと続いていた。盆地の中央には小さな村があった。川の向こう岸には一段高くなった広場があり、そこに一本の桜の大木があるのに気づいた。今を盛りと咲き誇る満開の花枝を大きく広げていた。
───きれい……。
道が大きくカーブして盆地が見えなくなるまでのわずかな時間、クラウドは桜の大木に心を奪われていた。
道の両側から山がせまる見通しの悪いルートに戻った頃、ボツボツと大粒の雨が落ちて来た。瞬く間に雨足が強まっていく。2台のジープとトラックは停車した。クラウドとライオネルは幌を取り出して手早くセットする。遠くにかすかな雷鳴が聞こえた。あっという間にシートも自分たちもずぶ濡れになった。
右手に高く続く斜面の中ほどに光るものを見つけたのはそのときだった。上げかけた手を止め、クラウドは凝視した。
「どうした?クラウド」
次の瞬間クラウドは大声を上げた。
「隊長!敵襲です!」
叫んだと同時に山腹にかかる霧の中から黒い塊が飛んでくるのが見えた。伏せろと叫ぶリー隊長の声は炸裂音にかき消された。
強い雨の中、空気を切り裂くように機銃音が鳴り響き、斜面の両側で光が瞬く。挟み撃ちにする計画だったのだろう。敵が完全に布陣する前にクラウドが気づいたおかげで、まだ背後に廻り込まれてはいなかった。
「ライオネル、クラウド」
リー隊長がふたりの自動小銃を投げてよこした。
「ソルジャー隊に救援を頼んだ。自分の身を守ることだけ考えろ!」
クラウドとライオネルは頷いてジープの背後にしゃがみ込んだ。分隊の兵士たちが車両の陰から自動小銃を構え、迎撃態勢を整えた。
両側からせまる斜面はところどころに岩が露出しているが、その大部分が背の高い木に覆われている。斜面の中腹にガトリングガンの火点が見えた。銃火があちこちに瞬く山腹に目を凝らしても、どこを狙えばいいのかクラウドにはわからなかった。
今回の襲撃は普段と何かが違っていた。まず、敵の人数が多かった。それに武装のレベルも高い。
あきらかに神羅の兵士のものと思われる、悲鳴のような叫びをガトリングガンの弾着が追う。正確な狙いなど定めていないのは明らかだった。扱い慣れない大型の火器を持て余しているのが弾着の乱れでわかる。だが、その敷き詰めるような量に心の奥底が凍っていくのを感じる。
鼓膜が拾いきれないほどの轟音と、膨張した熱い空気がクラウドの行動を押さえつけた。胃液がこみ上げてくる。頬の横を狂ったような軌道を描く鉄片がいくつも通り過ぎた。ジープの車体は徐々に破壊され、弾着はふたりの足元に近づいていた。
すぐ傍で、誰かがぬかるみのなかに倒れ込んだのか、大きな水音が聞こえた。
ソルジャー隊はいっかな姿を現さなかった。クラウドたちの分隊が広報してまわったルートを追うようにして、彼らはゲリラ潰しに当たっていた。そう遠くない地点にいるはずのソルジャー隊にも何か異変があったのだろうか。
やがて、敵のガトリングガンの掃射音が止まった。かすかなうめき声がいくつか聞こえている。何人の兵士が倒れたのだろう。軽機関銃や小銃を構えたゲリラが森の中から姿を現した。敵の人数はざっと30人。対してこちらは自分たち学生ふたりを勘定に入れても10人。そのうち何人かはすでに戦力外なのだろう。隣のジープの背後に隠れて装填していた兵士が銃を手に立ち上がり、敵をひとり撃ち、倒した。
クラウドもじっとしていられず、車体の陰からゲリラの一人に狙いをつけた。慎重にスコープを見つめ、敵の姿を追う。強い雨で視界が揺れ、水滴が乱反射してすぐに敵の姿を見失った。グローブをはめた手は緊張でじっとりと汗ばんでいた。激しくなる鼓動を感じながら、引き金をしぼった。男の手にしていた銃が弾け飛んだ。
───しまった!
クラウドは頭を狙ったつもりだった。舞い上がって抑制を失った自分を叱咤する。
射撃には自信があった。しかし、それは相手が黒い標的やモンスターであればのことだ。狙う相手が人間になったとたん、クラウドの心は一発の弾丸の重みにくじけた。
クラウドはジープの扉の陰に移動した。フロントガラス越しに、神羅兵とゲリラが斬り合っているのが見えた。まだ山道まで到達していない敵を一人でも減らして、兵士たちを援護しなければならない。クラウドは再び自動小銃を構えた。
ライオネルもジープの反対側で小銃を構えていた。唇を噛み締めて銃を構え、迷いなく引き金をしぼっているその姿にクラウドも気持ちを引き締めた。
少しずつだがゲリラの数は減っていた。しかし、神羅軍側は低地での防戦を強いられている。視界の端で神羅の兵士がまたひとり、ぬかるんだ道に倒れ伏すのを認めた。ゲリラ側の剣さばきは手慣れていた。対してこの分隊のメンバーに剣の扱いに長けたものはいなかった。接近戦になって状況は絶対的に不利だった。クラウドたち学生は帯剣すらしていない。もし、敵が眼前に迫って来たらと思うと、脇の下を冷や汗が流れるのを感じた。
───すこしでも敵を減らさなきゃ……。
右の茂みから姿を現した青いバンダナの男に狙いを定める。今度は慎重に頭を狙う。落ち着いて息を吐きながらゆっくりと引き金をしぼった。バンダナの男がドサリとその場に崩れた。内臓が迫り上がるような浮遊感を覚える。今、自分の手元を離れた鉛の玉が彼の命を奪ったのだと思うと、足の力が抜けていくようだった。
───考えちゃダメだ。
ふぅ、と息をついた瞬間、目の前に背の高い男がヌッと立ちはだかった。頭の上に剣を振りかぶり、今にもクラウドに打ちかかろうとしている。クラウドはとっさに小銃の銃身を使って振り下ろされた剣を受け止めた。金属同士の軋む音がギリギリと耳を蝕む。
迷彩柄にペイントされた顔面にギラリと光る目を睨み返しながら、剣を押し返す手に力を込めるが、男の剣は容赦なくクラウドのもつ小銃ごと眼前に迫って来た。雨に濡れたグローブで銃を持つ手がすべる。マスクをくぐりプラスチックのゴーグルを突き破った剣の切っ先が、クラウドの眉間を傷つけた。舌の根が縮み上がり、口の中がカラカラに乾いた。
───どうすればいい?
ふいに、男の身体から力が抜け、クラウドはたたらを踏んで前につんのめった。あやうく敵の剣の上に膝をつきそうになったところを身体ごとすくい上げられる。目の前に銀の糸が降ってきた。
「……セフィロス……」
クラウドの身体がジープの背後に降ろされ、黒い影のようなセフィロスの姿は目の前から掻き消えた。慌てて割れたマスクを外し、ジープの後ろからのぞいてみた。
ひどい吹き降りになっていた。冷たい風に煽られた大きな雨粒が地面に複雑な模様を描いていく。近くで雷が鳴り、稲妻が走った。
青い光の中、ギラリと輝く正宗を手に中空を跳躍するセフィロスの姿が黒く浮かび上がった。その足元にはすでに3人の敵が倒れている。流れる泥水が赤黒く染まっていた。
あたりは昼間とは思えないほど暗い。クラウドはもっと良く見ようと目を見開くが、雨が飛び込んできてかえって視界を奪われた。
また、稲妻が光る。セフィロスは正宗を横になぎ払い、一瞬にして2人を斬った。空中に血の線を引く正宗を返し、さらに次の標的に向かって肉薄する。セフィロスの剣は一瞬の迷いもなくふるわれる。クラウドが無意識に息を止めて見守るあいだに10数人が泥濘の中に倒れていった。
いつしか分隊のメンバーはセフィロスの戦いぶりに見とれるように棒立ちになり、攻撃の手すら止まっていた。不意にセフィロスが振り返って大声を上げた。
「伏せろ!!」
沈黙していたガトリングガンが再び咆哮を上げ始めた。でたらめに撃ち込まれる弾は、クラウドの足元にも届くが、確実にセフィロスを狙っていた。セフィロスは弾丸のいくつかを正宗で弾き返しながら、まっすぐにガトリングガンの発射光が見える斜面を駆け上がっていった。ほどなく、機銃は沈黙し、あたりは轟々と降りしきる雨の音に包まれた。
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訪問を予定していた谷間の村の外れに、野営用の天幕をいくつか立て、負傷した兵士を運び込んだ。死者が出なかったのが不幸中の幸いだった。
雨はすっかり上がっていた。黒い雲が駆け足で東の空へ流れ去り、青空が広がった。あたりには冷たい空気が満ちていた。
リー隊長が本部とのやり取りで得た情報によって、ウータイゲリラの動向が明らかになった。今日は同時多発的にあちこちで大小の火の手が上がっていた。クラウドたちの分隊がいた地点から、谷一つを越えたところで別の分隊が危機的状況に見舞われていたのに、こちら側のルートをとっていたソルジャーが合流して救援にあたっていたのだという。今まで個別に小さな襲撃を繰り返してきたウータイゲリラを組織化して指揮をとるリーダーの存在が確認されたという情報を得て、セフィロスもこの山間部に来ていたらしい。
「ライオネル!クラウド!おまえたちもすこし休め。この村の偵察は済んでいる。安心して眠っていいぞ。晩飯まで自由にしていろ」
「はい、ありがとうございます」
ふたりは救護用の天幕を出た。
「おれ、もう限界。テントで寝るよ。クラウドはどうする?」
「あ、うん。その辺ブラブラしてくるよ。ちょっとすぐには眠れそうにもないし」
「気をつけろよ」
手を上げて、クラウドは歩き出した。さっきの雷雨で増水した谷川の濁った流れを見つめながら、クラウドは自然と山道での出来事を反芻していた。
すこし小降りになった雨の中、斜面から降りてきたセフィロスは、駆け寄ってきたリー隊長の言葉に何度か頷くと、ひと言なにか指示を出した。隊長が敬礼し、踵を返して負傷した分隊のメンバーのもとに走った。
クラウドは呆然と死体の山に目をやり、その中央に佇むセフィロスを見た。彼の頬に雨の雫が流れるのが見て取れた。クラウドはセフィロスのほうへ一歩踏み出してから止まった。長い睫毛が濡れて光っていた。一見して無表情な彼の顔が、なぜだかとてつもなく切ないものに見えて胸が詰まった。掛ける言葉が出てこなかった。
セフィロスはゆっくりと顔を上げて、縛られたように動けなくなったクラウドを見た。表情を変えないまま近づくと、手袋を外し、指先でそっとクラウドの眉間に触れた。とても冷たい感触だった。ひと言も発しないまま、セフィロスはその場を離れた。
ふと、桜の大木のことを思いだした。この川の向こう岸にあるはずだ。川沿いにずっと歩いて対岸へ渡る細い橋を見つけた。
公の場でセフィロスとの特別な関係があらわになることを、クラウドは常々厭がっていた。そのことはセフィロスもよく知っている。さっきもセフィロスは誰にもわからないように、黙ってクラウドにだけケアルをかけた。だが、セフィロスはおそらく誤解している。クラウドはセフィロスとの関係を恥ずかしがっているのではなかった。
クラウドは自分の存在がセフィロスのためにならないと思っていた。足かせ、弱点、不釣り合い───理由には事欠かない。
いつまでたっても人間同士の闘いに恐れを抱き、すくみ上がってしまう自分を情けなく思う。今日の戦闘でも同じだった。やっとの思いで敵を倒せても、相手の命を奪うことで、心にただならぬ傷を負う脆弱な自分が惨めだった。
だからこそ、この特別な間柄を他人に知られたくなかった。それでは、いっそセフィロスの前から姿を消せばいいじゃないか、とも思う。しかし、どんなに相手のためにならないとわかっていても、自分からセフィロスのもとを離れることができるだろうか……。そのことを思い煩い始めると、深い轍にはまったように抜け出せなくなる。
桜の大木はそこだけ良く日が当たる小さくひらけた広場にあった。桜の木の横に広がる柔らかい草地では、小さな子供たちが声を上げて戯れていた。
桜の木の下には仰向いて花を見上げているセフィロスの姿があった。
───こんなところに……
花枝には一羽の雀が止まっている。花の蜜をついばむため、咲いた桜の花をせっせと根元から噛み切って落としていた。5枚の花びらが揃ったまま花軸を離れた花はくるくると回転しながら落ちていく。セフィロスはその様子をじっと見守っているのだった。
広場の入り口からじっとセフィロスを見守るクラウドは、セフィロスの戦いに想いを馳せた。セフィロスの身体は傷つかない。だけど心はどうなんだろう? もしかすると敵を殺せば殺すほど、心の中は傷だらけで、でもあの人はそれを決して外に表わさないんじゃないか。
───だからあんな顔をしているんだ。
クラウドは彼の過酷な生き様を想い、辛さと愛しさで胸が詰まった。
飛び立った雀の姿を目で追ったセフィロスが、クラウドに気づいた。
途端に、やわらかな笑みが端正な顔に広がる。その慈しみに満ちた笑顔を見たとき、クラウドは、心に明るい光が差し込んでくるのを感じた。
ふたりが互いに近づこうと動き始めたとき、草むらで遊んでいた子供たちの中から、ひとりの男の子が頼りない足取りで近づいてきた。ポケットから出した手には手榴弾が握られていた。ふたりの顔を交互に見比べて、クラウドのほうへ一歩足を出したとき、地面から飛び出した大きな石につまずいた。
クラウドはすでに走り出していた。なんとか手榴弾が地面に落ちる前にキャッチしなければ、男の子もほかの子供たちもただでは済まない。
と、自分にプロテスがかかるのを感じた。セフィロスもこちらに向かって走っていた。
「クラウド!!」
「セフィロス!お願い!」
子供の手からこぼれ落ちた手榴弾が爆発した。爆風に吹き飛ばされたクラウドが意識を失う直前に見たのは、血まみれになった子供の手と、手榴弾が吹き飛ばした瓦礫をもろに受けるセフィロスの姿だった。
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やわらかで、すこしひんやりした風が頬を撫でている。さやさやと木の葉が揺れる音が聞こえていた。クラウドは寝返りを打とうとして、違和感を覚えた。
───いつものベッドじゃないのかな?
ゆっくりと覚醒しながら、まぶたを開いた。
───天井が、桜の花?
大きく天蓋のように張り出した枝には、重みを感じさせるほどぎっしりと花がついていた。ときおり、ハラハラと花びらが落ちてくる。枝の向こうには煌煌と白く輝く満月があった。
「クラウド」
頭蓋骨に直接響いてくるセフィロスの声に驚いて身体を起こそうとすると、ギュッと強い力で抱きとめられた。桜の木の根元に座るセフィロスに身体を預けて眠っていたらしい。おとなしく身体の力を抜いて寄りかかった。目を閉じてじっとしていると、セフィロスの鼓動が聞こえる。
「あの子は?」
「村の医師に預けた」
「そう」
命は助かったんだ。安堵が胸に広がる。もう一度身じろぎしてすこし身体を離し、セフィロスの顔を見上げた。もの問いたげな優しい瞳が見下ろしている。
「怪我、しなかった?」
セフィロスは目を細めて頷いた。
「よかった」
こんどは大きく伸びをして、セフィロスの膝の上にごろんと横になった。
一陣の強い風が吹いて、セフィロスの髪が大きくなびき、枝を離れた桜の花びらが一斉に舞い上がった。
「わあ、すごくきれい!」
ひらひらと舞い散る花びらに手を差し伸べながら、クラウドは昼間から感じていたことを口に出してみた。
「オレ、昼間の戦闘で殆ど役に立てなかったんだ」
訝るような表情でセフィロスが見守っていた。
「それに、すごく怖かった。死ぬのも、殺すのも」
セフィロスはクラウドの身体を抱き起こして向かい合うと、クラウドの両肩に手を置いた。
「おまえはまだ子供だ。身体も心もこれから強くなる。焦ってはいけない」
「だけど!……セフィロスは怖いなんて気持ち、わからないでしょ?」
セフィロスはその問いには答えず、しばらく考え込んだ。
「クラウド。死が怖いのは誰にとっても、あたりまえのことだ。だが、どんな人間にもいつか死が訪れる。どんなにじたばたしても最後には自分の生を放棄するほかない。そうだろう?」
クラウドは頷いた。セフィロスは何を言おうとしているんだろう。
「人間はそのときになって初めて、本当の意味で自分中心の気持ちから解放されると思うんだ。生きること、つまり自分に執着することをやめて、ただ黙ってこの世界を眺める。そうするとこの桜も月も風も、今こうして眺めているのとは全く違う絶対的な美しさをもって見えてくるんじゃないだろうか。一点の曇りもない無垢な世界が姿を現す、俺にはそう思えてならない。俺の考える死≠ニは、この世界の真実の姿を知る最後で最高のチャンスだ。だとすると死は人間にとって、やはり素晴らしい贈り物であるのだと思う」
クラウドはセフィロスの言葉に衝撃を受けた。死が素晴らしい贈り物だなどと言うセフィロスは一体何を考えているのかと、強い不安に苛まれた。昼間山道で見た、雨に濡れた横顔が胸の痛みとともに甦る。
「セフィロス…! ダメ、ダメだよ!! それじゃあ、まるで死にたがってるみたいじゃないか! お願いだからそんなこと考えないでよ!」
クラウドは必死でセフィロスの首に抱きついた。涙があふれて止まらなかった。
「クラウド。落ち着け」
セフィロスはクラウドの髪を優しく撫でながら言葉を続けた。
「話がそれてしまって悪かった。死を賛美したわけじゃないんだ。」
ふーっと細く息を吐き出したセフィロスは、肩に顔を押し付けるようにしてしがみついたクラウドに、ささやくように低い声で続ける。
「俺はな、クラウド。死を身近に感じた今のおまえなら、生きる事にもっと貪欲になれるだろうと思うよ。今がどんなに不本意な状態であっても、ただ生きてここにいること自体が僥倖なんだ。死と隣り合わせになってそのことに気づいた今なら、自分の“生”を今までよりももっと大切にしてくれるだろう?今出来ることに全力を尽くす、そのことが重要だと思う。死を怖がることは決していけないことじゃない。お前がもっともっと自分自身を大切にしてくれるようになるならば…」
強く強くしがみついていた腕の力を緩めると、クラウドは泣き濡れた瞳でセフィロスを見上げて頷いた。
「それに……俺は、生きて、どんなときも生き抜いておまえとともにありたいと、そう思っているよ」
セフィロスの言葉はクラウドの胸を締め付けた。セフィロスはその暗緑色の瞳でクラウドをじっと見つめた。頬を伝う涙をそっと拭き取ると、うなじに手をかけて引き寄せ、ゆっくりと唇を合わせた。
自分よりもすこし冷たいセフィロスの唇。その冷たさを感じるだけで頬から耳まで熱く燃え上がるようだった。クラウドは体中をザーと音を立てて駆け巡る血潮を、奔馬のように飛び跳ねる鼓動を意識した。そして命のまっただ中に自分がいることを強く実感した。
ふたりの体温がまじり合い、柔らかく溶け合って境界線がわからなくなったころ、静かに顔を離したセフィロスは、再び口を開いた。
「この桜の散りゆくさまが美しいのは、生への執着という醜さを感じさせないからだろうな。……俺は執着を捨てられない醜い存在だ。……おまえを失うのが怖い。死ぬのがどちらであっても」
あんなにも強大な力を持ち、恐れるものなど一つもないはずのセフィロスでさえ、死によってもたらされるものを恐れている。その事実にクラウドはまた、涙が溢れてこぼれ出すのを止める事ができなかった。もう一度セフィロスの胸に顔をうずめて、彼の大きな身体をギュッと抱きしめた。
───そうか、そうなんだ。だから俺は、あなたの傍にいてもいいんだね……
自分がともにあることをセフィロスが望んでくれるというのなら、なんとしても自分は生きていたい。弱く、情けなく、惨めな子供であっても、こうして必要としてくれる人がここにいる。ならば、どんなに怖くとも自分は戦場で生を勝ち取ってゆかなければならない。彼のためにも、自分自身のためにももっと強くならなければならない。
今度は自分からセフィロスの顔を引き下ろし、そっと口づけた。自分の存在が彼にとってわずかでも癒しとなるようにと願わずにはいられない。
クラウドはセフィロスの膝の上から降りて彼の両手を引っ張った。立ち上がったセフィロスは心配そうに眉根を寄せてクラウドを見下ろしていた。セフィロスの顔を見上げながらクラウドは、きっぱりとした口調で言った。
「セフィロス、オレが目覚めるまで待っていてくれてありがとう。でも、いつまでもここにいられないんでしょう?」
「クラウド」
「オレ、もう大丈夫だよ。もう怖がらないよ。うーん、違うな。怖くても頑張るよ。だから、心配しないで」
セフィロスはクラウドの頭に手を置くと、柔らかい髪の感触を楽しむようにくるくると手を動かした。
「そろそろ、隊に戻るよ。セフィロス、本当にありがとう」
クラウドはそう言って満面の笑顔をセフィロスのために贈った。セフィロスの顔にも、穏やかな微笑みが戻ってきた。
───オレが笑えば、あなたも微笑んでくれるんだね。そして、あなたが微笑めばオレは幸せなんだ。
クラウドは後ろ向きに一歩下がり、くるりと背を向けて広場の端まで走っていった。そこでまたセフィロスを振り返り、大きく手を振った。
「早くミッドガルに帰れるように頑張ろうね」
セフィロスは片手を上げて応えた。ハラハラと落ち続ける花びらと、月の光を浴びてきらめく銀色の髪が風に揺れていた。駆け出したクラウドは何かしら澄んだものが胸の中からあふれ出すのを感じていた。