INDEX 

My Funny Valentine

ピッ、ピピッ───。
『ロックを解除しました。ソルジャー・ザックス、どうぞお入りください。』
電子音声のアナウンスが流れ、重い石壁のゲートが開いた。目の前に両脇を低木で縁取られた長いアプローチが現れる。その距離にうんざりしながら足早に通り抜け、今度は屋敷の玄関脇にあるカメラに瞳をかざす。シューッと油圧装置の音がして重厚な樫のドアが開いた。
ここはクラウドの住まいだ。ただでさえ入るのが面倒な神羅特別居住区の中にあるというのに、さらに背の高い石壁に取り囲まれ、何重ものセキュリティーを解除しなければ屋敷の中に入ることができない。

「ちぇっ!毎回、毎回、しちめんどくせぇな。ここにゃ、もう二度と来ねえ!」
ぶつくさと文句をいいながら、玄関ホールに踏み込んだザックスは、勝手知ったる我が家のようにズカズカとキッチンのほうへ足を向けた。
「クラウドー。ヒマしてんだろー?スカッシュ行かね?」
言いながらドアを開けたザックスは、「ヒッ!」と喉から妙な音を出して、目の前の光景に釘付けになった。
「って、あんた。何やってんの!」

そこには黒いソムリエエプロンを着け、長い髪を後ろでひとつにまとめたセフィロスがいた。右手にはステンレス製のボールをもち、左手にはレードルを持っている。
室内には甘い香りが充満していた。
ちらっとザックスに視線を投げ掛けたセフィロスは、何事も無かったように大理石の調理台に向き直る。調理道具を置くと、ペンを取り何か書き付けている。
「おい……。クラウドは?」
「昼過ぎまで勤務。そのあと本屋に行くと言っていた」
「ふーん、珍しいな。あんたが家にいるのにまっすぐ帰ってこないなんて」
セフィロスの返事は無い。黙々とメモを取っていた。

クラウドをスカッシュに連れ出すつもりでここへ来たザックスだったが、目の前の見たことも無い神羅の英雄≠フ姿にいたく興味を引かれたようだ。
「何それ。チョコレート?」
しげしげとあちこち眺め回すザックスに、うんざりした顔を向けたセフィロスは、ペンを置いて言った。
「午後2時頃にジェンカ堂へ行けば見つかるんじゃないか。クラウドは大概そこで本を買ってくる」

「なあ、あんた。何でそんなことしてんの」
セフィロスはわざとらしくため息をつくと、ザックスを手招きした。
「こっちへ来てみろ」
キッチンの隅にあるダストボックスを示し、近寄ったザックスにフタを取らせた。
中には何か褐色の、得体の知れないものが大量に投げ込まれていた。じっと目を凝らすとどうやらそれは、作り損ねたケーキの残骸のようなものだった。
「これ……。全部あんたが?」
「まさか。クラウドだ」

 次はキャビネットの扉を開いてみせる。そこには十数冊に及ぶお菓子作りの本がずらりと並んでいた。一冊抜き取ってみると、チョコレートケーキのページが自然に開いた。
「これも全部クラウドなのか」
 セフィロスは頷いた。
「この一週間、俺のいない間ずいぶん熱心に取り組んでいるようだ。だが、見ただろう?ダストボックスの中を」
「成功してないってか」
「ガレージにも大きなゴミ袋が3つ、置いてある」
「あいつ、いったいどんだけ食いもん無駄にしてんだよ。……で?あんたがかわりに作ってやるわけね」
セフィロスは眉根を寄せて首を横に振った。
「クラウドは、このことを俺に知られたくないらしい」
「あ?あ〜あ。」

ザックスは納得した。
今日は2月11日だ。クラウドは、あと3日のうちに成功しなければならないのだ。追い込まれて泣きそうなクラウドの顔を想像して、ザックスは笑い出したい気分になった。
そこでハタと気付いて、ザックスはマジマジとセフィロスの顔を見つめた。
「じゃ、なんであんたがこんなコトやってんのさ」
「クラウドでも絶対に成功するレシピを作っている」
「へっ? 」
「俺が、クラウドにも簡単に作れるザッハトルテのレシピを書いて、ここに置いておく。それを見て作ればいい」

───この御仁、意味わかってんのか?

ザックスのあきれ顔にはおかまいなくセフィロスは続けた。
「本をぜんぶ出してみろ。自然に開いてしまうページがあるだろう?」
ザックスは言われたとおりに本を出して並べていく。なるほど、きっちり開くようにキツく押し付けられたページがあり、クラウドがどんなものを作ろうとしていたのか手に取るようにわかった。
ザッハトルテ、トリュフ・ア・ラルコール、プラリネ、チョコタルト、ガナッシュクリームのケーキ、チョコクリームのロールケーキ、エトセトラ、エトセトラ。

「なんでまあ、こんなに難しそうなのばっかし。クラウド、バッカだねぇ、買ってくりゃいいのに」
「そのとおりだ。何故自分で作ろうなどと思ったのか。わからん」

───まったく、この世間知らずの天然野郎は……
ザックスは真面目に同意するセフィロスに目眩を覚えながらも、彼にクラウドの真意を教えてやる気はさらさら無かった。
───面白いじゃないか。観戦させてもらうとするか

「最初の頃はプラリネを作ろうとしていたようなのだ。だが、どれもこれも、まともなカタチにならず、黒い不気味な物体になっていた。しかも、たくさんのバリエーションを作らなければならないことに気付いたらしい」
「ふーん」
「で、ケーキに方向転換したようだ。しかしな、クラウドにはスポンジが焼けない。ダストボックスにある試作品には、まったく膨らんだ形跡がなかった」
「あんた、毎日ゴミ箱あさってたわけ?」
「クラウドが秘かに困っているのだ。いつ助け舟を出すべきかと、思案していた」
「ふーん。そうなんだ」
「クラウドは温度管理の重要性がわかっていないから、チョコレートをテンパリングすることができない。つまり、つややかなチョコレートコーティングは無理だということだ。材料を加えるタイミングや、火をいれるタイミングなど、時間管理もできていない」
「……セフィロス。普通はそんなことできねえだろ?」
「しかし、クラウドはやろうとしている」
「できねえって!だいたい、あんた、何でそんなコト出来んだよ!」
「ここに書いてあるじゃないか。逆に聞くが、おまえは、何故できないんだ?」
セフィロスは目の前に散乱する本を指した。
「へっ!もーいいよ。それで?どんなレシピ作ったんだよ」

セフィロスはそこで初めて、すこしだけ口の端を吊り上げた。
「これを使う」
指差されていたのは、炊飯器だった。
「おいおい、待てよ。いくらなんでも、これがメシを炊くもんだっつーコトくらい知ってるぜ? ケーキっていやあ、オーブンじゃないの?」
「普通はな。だが、これを使うメリットは多いぞ。まず、温度管理のために張り付く必要が無い。そして、加熱時間で失敗することも無い」

 セフィロスは、しばらくザックスの顔を見つめていたが、おもむろにこう言った。
「ちょうどいい。クラウドが帰ってくるまであと4時間ほどある。お前、どうせ暇なんだろう? そこで俺のレシピ検証に立ち会え」
ザックスは調理台の向こう側にまわり、了承の印として背の高いスツールに腰を落ち着けた。
「英雄のクッキングスクール、ってか」

□■□■□■

「では、始めるぞ」
セフィロスは炊飯器の内釜を取り出して目の前に置いた。
「まず、この板チョコ1枚を溶かす。基本は湯煎だが、電子レンジなら簡単だ。設定温度は50℃だ」
セフィロスは板チョコをパキパキと割り、耐熱容器に放り込んで電子レンジに入れた。
「その間に卵を割りほぐしておく」
内釜に卵を割り入れ、泡立器でガシャガシャやっていると電子レンジが止まった。
「これもここへ入れて混ぜる。」
トロリと溶けたチョコレートを内釜に流し入れて、再びよく混ぜる。
「牛乳、メイプルシロップを入れる。そして、こいつだ」
セフィロスが取り出したのはカップに入ったチョコレートアイスだった。
「こいつを入れると砂糖と生クリームを使うよりも簡単にコクが出て手間もかからない」
喋りながらセフィロスは器用に泡立器を動かし、材料を滑らかに混ぜ合わせた。

「ザックス、そのフルーツバスケットにあるミカンを取ってくれ」
「おう」
ザックスは籠からミカンをひとつ取って投げた。
「この皮をすりおろして入れる。そして、果汁も搾って入れる。」
手早くおろし金を使い、ハケで器用に生地の中に落としていく。そのあと、ミカンを半分に切ってギュッと搾った。
「最後にこれ。ホットケーキミックスだ。」
ザーッと袋の中味を一気にあけ、手際良く混ぜ合わせた。
「あとは炊くだけだ。」
セフィロスは内釜をそのまま炊飯器にセットし、スイッチを入れた。
「炊きあがるまで、しばらく待て。」
「へいへ〜い」

ザックスは立ち上がり、リビングを通り抜けて窓際まで行った。窓を大きく開け放すと、そこにはテラコッタタイルを敷き詰めた広いテラスが続いている。今はすっかり葉を落としてしまったトネリコやヤマボウシの間から、冬の柔らかな日差しが降り注いでいた。
モザイクタイルの椅子に座ると、両手を上げて大きな伸びをした。

───クラウドのヤツ、焦ってまた違う本、探してんだろな

そして、遠くに見えるキッチンで、調理用具をきれいに洗って片付けているセフィロスを見る。
ザックスには二人の関係がよくわからなかった。
歳の離れた兄弟のようでもあり、恋人同士のようでもある。セフィロスは、クラウドの保護者として振る舞っているようだったが、ザックスの観察するところでは、精神的にはどちらがどちらに依存しているのか、判断がつかない部分もあった。
しかし、クラウドがチョコレートケーキを作ろうとしているとなると、話はハッキリしてくる。渡す相手がセフィロス以外だなどということは考えられない。

───ま、どうでもいいけどさ。興味ないしね。

14日、自分にどれだけのチョコが集まるか、などと思いめぐらせていたとき、手招きをするセフィロスに気がついた。

「続きだ」
ザックスは再びセフィロスの正面に陣取る。
「炊きあがったら、こうやって網の上にひっくり返す」
内釜をくるっとひっくり返してポンとたたくと、きれいなドーム型のチョコスポンジが姿を現した。
「これがすこし冷めるまでに、コーティング用のチョコを用意する。クラウド用のレシピでは市販のコーティング用チョコレートを指定しておくが、今はこのクーベルチュールチョコレートを使う」
「クーベル?」
「クーベルチュール。油脂分が多く加工しやすい。カカオの風味も強いな」

セフィロスは、チョコレートの固まりを手早く刻んでいった。
「まず半量を40〜45℃にして溶かす。絶対に60℃を越えてはいけない。やり方はこうだ」
ザックスの目の前にふたつのボールが並べられた。
「これは50℃のぬるま湯」
刻んだチョコレートの半分が入ったボールを湯につける。静かにヘラでかき回し、トロリとなったところで、残りの刻みチョコレートから少量を追加する。
「チョコレートの温度はいったん40℃にし、そのあと追加のチョコレートを入れることで温度を下げる。こうやって、湯煎と追加を繰り返しながら、チョコレートの温度を30℃に保つ」
「へー。微妙じゃん」
「固まってしまったり、温度が上がりすぎたりしないように細心の注意が必要だな」

すべてのチョコレートを溶かしたセフィロスは、パレットナイフをボールの中に差し入れ、すぐに引き上げた。しばらくじっと見つめている。見る見るうちにチョコレートがツヤ良く固まっていった。
「だいたい3分以内に固まれば、上出来だな」
「へーっ!すげぇ。器用なもんだな」

ザックスの感心する声を聞き流しながら、セフィロスはスポンジを上下ふたつに切り分け、あいだにジャムを塗っていた。
「それは何?」
「ブルーベリージャム」
スポンジをぴったり元通りに重ねあわせると、セフィロスは溶かしたチョコレートを豪快に流し掛けた。
 じっと見守るうちに、チョコレートがツヤを増し固まっていく。
「完成だな」
「お見事」

「味見してみろ」
 ザックスは待ってましたとばかりにケーキを切り取り、大きな一口をほおばる。
「んん、…(モグモグ)…旨いじゃん。……あれ?リキュールとか入れたっけ?」
「見てたろ?入れてない」
「なんかいい風味じゃん。へー、こりゃいいよ」
「これならクラウドにもできるだろう? コーティング用のチョコレートを使えば、難しいステップはひとつもない」
「なるほどね。『混ぜて、炊いて、ドバーッ』と。あんた、よくこんなコト考えついたよな」
ふふん、と鼻で笑ったセフィロスは、ふと思いついて言った。
「お前。これを、持って帰れ」
「えー?いらねーよ。」
「ここにあっても困るのだ。それに俺は甘いものは苦手だ。」
ザックスは腕組みをしてしばし考え、「わかったよ」と言って笑った。

「それより、あんたさあ。このレシピ、どうやってクラウドに見せるつもりなんだよ」
「そうだな。この上にでも置いておくか」
「あほ。それじゃ、あんたがやったってバレバレじゃないの」
「そうか。ならどうするかな」
「俺に任せなって。うまいこと言ってクラウドに渡してやるよ。このメモ、手書きじゃマズいから、パソコンで作り直しとくからな」
ザックスはそう言うと、出来上がったケーキを持ってそそくさと帰っていった。

□■□■□■

2月14日。
来週に迫ったウータイ出張のための会議を終えたセフィロスは、壱番街の自宅に向かって車を走らせていた。3時間を超えるのが当たり前になっているあの会議ほど不毛なものはない。人間の集中力などそう保てるものではないというのに。
車をガレージにおさめたセフィロスは、ガレージ奥の扉が開く音を聞いた。クラウドが迎えに出てきたらしい。
「お帰り!セフィロス!」

勝手口から漏れる光を背に、ツンツン頭が黒いシルエットになっていた。
セフィロスは車をロックし、ガレージシャッターのリモコンを操作しながら、大股で歩み寄った。近づくと青いこぼれそうに大きな瞳が見上げているのがうっすらと見えてきた。こういうとき、セフィロスは知らぬ間に微笑みをたたえている。
「ただいま、クラウド。」
クラウドの肩に手をまわし、一緒に室内に入っていく。明かりの下で改めてクラウドの顔を見つめ、すこし屈んで言った。
「遅くなったな」
「ううん。お疲れ様、セフィロス。会議、大変だったんでしょ? あの、いつものメンバーだもんね」
「はは、せっかく家に帰って来たんだ。あいつらの話はやめよう」

セフィロスは寝室で着替えをすませると、リビングへと足を向けた。パチパチと音を立てて燃える暖炉の前に、クラウドはかしこまったスタイルで座っている。
「どうしたんだ?」
クラウドはさっと立ち上がった。すこし顔が赤く、態度がぎこちない。
「あ、あのね。セフィロス。こっちに来て?」
クラウドは小首をかしげながら、そっとセフィロスの手を取った。そのまま自分は後ろ向きにダイニングへとセフィロスを引っ張っていく。
「こ、これ。セフィロスに……」
ダイニングテーブルの上には、きれいなドーム型をしたつやつやに輝くザッハトルテがあった。頂上には木の葉の形をした薄いチョコレートが何枚も飾り付けられ、金箔が散らしてある。
「これは……」
セフィロスは戸惑いを隠さずにクラウドを見つめた。クラウドは俺に食べさせるために、毎晩苦労を重ねてチョコレートと格闘していたというのか。
クラウドはそんなセフィロスの表情を見て、照れくさそうに微笑みながら言った。

「やっぱり、セフィロスも知らなかったんだね。オレも知らなかったんだけど。今日はね、セントバレンタインデーといってね、好きな人にチョコレートを贈って愛の告白をする日なんだって。」
「そうなのか。」
「うん。オレ、最初にそれを聞いた時には、くだらないお祭り騒ぎだなって思った。きっとセフィロスもそう思うよね。だけど、バレンタインの由来を教わったら、なんだかすごく感動しちゃって……」
セフィロスはゆっくり頷くと、クラウドの頬に手を添えて続きを促した。
「クラウド、俺にも教えてくれないか?」
「うん。あのね。大昔、ある国の皇帝がね、若い人たちの結婚を禁止したんだって。それはね、兵士たちが奥さんや恋人を残して戦いに行くのをためらったり、戦意をなくしたりするのを防ぐためだったんだ。
それを可哀想に思って、こっそりと結婚の儀式をしてあげていたのがバレンタインという司祭様だったんだ。でね、それが皇帝にバレて、バレンタインさんは処刑されてしまうんだよ……。その日が2月14日なんだ。」

クラウドはそこで言葉を切って、繋いだ二人の手を見つめた。
「あのね……、セフィロス。……来週から、またウータイに行くんでしょう?」

遠慮がちにささやかれたクラウドのその言葉は、セフィロスの胸にズキンと甘い痛みを引き起こした。何故その伝承がチョコレートと結びついたのかはよくわからなかったが、クラウドの言いたいことはとても良くわかった。
クラウドが連日、キッチンでチョコレートと格闘していた理由も納得できた。すべて自分を心配する気持ちに突き動かされてのことだったのだと。
「クラウド……」
真っ赤に火照った滑らかな頬に、そっと唇を寄せる。
「クラウド、ありがとう。しかし、そんなに心配するな。俺は絶対にお前を残して死んだりしないから。」
クラウドの瞳に涙が盛り上がった。
「うん……。オレ、バカだよね。セフィロスを心配するなんて、バカみたいだよね。オレ、心のどこかにウータイには行って欲しくないっていう気持ちがあって……」
「すぐに終わらせて帰ってくるさ」
そう言ってセフィロスはクラウドの瞳をのぞき込んだ。こくんと頷き、見つめ返してくる青い瞳には、安堵と不安の色がほのかに揺らめいていた。

 

「旨いな」
「ホントに?」
 一口食べたセフィロスの言葉に、クラウドは弾んだ喜びの声を上げた。セフィロスがケーキを口に入れるまで、心配そうに息を詰めて見守っていたが、急に緊張の糸が切れたようだ。自分もフォークを取り上げて、パクッとケーキを口に入れる。
「ホントだ!美味しいや!」
「なんだ?まだ試食してなかったのか?」
「えへ。ゴメン。日曜日の夜にね、ザックスが教えてくれたんだよ。ザックスの彼女さんがパティシエを目指しているんだって。オレがケーキ作りで行き詰まっているだろうからって、簡単なレシピをもらってきてくれて……。あれ?ザックス、どうしてオレがケーキ作りで行き詰まってるって思ったんだろ?」
セフィロスは肩を揺らして笑っていた。クラウドが喜んでいる姿が、温かさとなって自分の心を溶かしているのを感じた。
「さあな、彼女自慢でもしたかったんじゃないのか」
「そ、そうかなあ」

 

制止するクラウドを振り切って、ザッハトルテを食べ尽くしたセフィロスは、案の定頭痛を起こしいた。向かうところ敵無しの男も、甘いもので引き起こされるこの症状だけはどうしようもないらしい。
───クラウドの喜ぶ顔と引き換えだ。仕方がない。
クラウドが風呂に入っているあいだにひと眠りしたのでずいぶんスッキリしていたが、そのままじっと目を閉じてカウチに横たわっていた。ドアのあく気配がして、カランと涼やかな音がした。クラウドが氷水の入ったピッチャーとグラスを持ってきたのだろう。

「セフィロス……」
額にそっと手がのせられた。セフィロスはまぶたを閉じたままじっとしていた。
「ごめんね。オレのために……」
小さなつぶやきが聞こえる。クラウドの手は肘掛けに散らばる髪をもてあそんでいる。ふとその動きが止まったとき、唇に柔らかいものが押し付けられた。
クラウドが自分からキスしてくることは殆どない。
セフィロスは静かに目を開いた。気付いたクラウドが大慌てで身体を起こそうとするのを、さっと抱きとめあっという間に体勢を入れ替える。

「あ、セフィロス……」
「俺も聖バレンタインに敬意を表するよ。」
そう言ってセフィロスはさらに強くクラウドの身体を抱きしめるのだった。

□■□■□■

さて、次の朝。
出勤途上のザックスは、神羅ビルの入り口へ向かうクラウドの後ろ姿を見つけた。どうも足取りが重いようだ。
「おい!しっかりしろよ!」
ドン!っと背中をたたいたザックスは、相手があまりにも他愛無くたたらを踏んでつんのめったので、逆に面食らった。
「って、オイ!大丈夫かよ。」
「ああ〜、ザックス、おはよ。」
振り返ったクラウドは寝不足の疲れ切った顔をしている。寝不足の原因に思い当たったザックスは顔にやりと笑った。これはもう、二人の関係に確信を持っていいのではないか。

「あのレシピ、どうだった?」
「あ、うん。すごく上手に出来たよ。セフィロスも『旨いな』って言ってくれたんだ。ザックス、ありがと。」
「そっか、良かったな。」
クラウドは上目遣いにザックスをちらりと見ると、またすぐ下を向いて言った。
「あのさ、ザックス。ホントはあのレシピ、彼女さんのじゃないんでしょ?」
「え?」
「あ、いいんだよ。別に気にしてないから。だけど、夕べずっと考えて……。考えれば考えるほど眠れなくって」
「だから、何を?」
「あのレシピ、作ってくれたのはセフィロスなんじゃないかって」

───げっ!勘の鋭いヤツめ。何でわかったんだ?

「な、なんでだよ」
「あ、ザックスは答えなくていいよ。言いにくいでしょ。でも、オレ、わかっちゃったから。だって、あんなに簡単で美味しくて。それにね、普通の女の人はあんな風には作らないんじゃないかって……」
二人はしばらく黙って歩き続けた。ビルの入り口前まで来た時、クラウドが顔をすこし赤らめ、ささやくように言った。
「ね、ザックス。今日セフィロスに会っても、オレが気付いたって言わないでね。お願いだよ。せっかくセフィロスがオレにわからないように助けてくれたんだから。」
じゃあね、と言ってクラウドは不確かな足取りで階段を上がっていった。

エントランスホールからその後ろ姿を見守っていたザックスは、特大のため息をついた。
───結局、あのやつれ方は単なる寝不足ってわけかよ。ま、興味ないけどな。

その日の昼休み、ザックスは神羅ビル65階の廊下で、小さな口笛を吹きながら歩いて行く銀髪の男の後ろ姿を見てしまった。
興味はないとうそぶきながらも、また、二人の関係に疑問符がついてしまったのは言うまでもない。

『My Funny Valentine』 2006.02.07 初掲 2012.01.27 再掲

INDEX