───ずいぶん、空気が乾いているな。
西へ進めばコンドルフォートの魔晄炉、このまま北へ進めばミスリルマインの洞窟だ。ミッドガルへは、ミスリルマインを通ってグラスランドから迂回する行程をとるつもりだった。
背後から、奇声がとどろいたのはその時だった。
セフィロスは背後を振り返った。今上陸したばかりの海岸のモーターボートの上に大きな影が見えた。
黒い大きな翼があたりの砂を巻き上げる。ギラリと光る黄色いくちばしから太い舌をみせて、こちらに急降下してくる。
───ズーか。
セフィロスが高く跳躍して後ろに下がると、飛び退いたばかりの場所が大きく抉られている。
ズーは上空で大きく旋回すると、再びセフィロスにその鈎爪を向けてきた。強い殺意が噴き付けてくる。
───このあたりはズーの生息地だったか?
訝しく思いながらも、セフィロスは無駄な戦いをするつもりは無く、速やかにこの場を離れようと考えた。
モンスターは人を襲う。しかし、それは己のテリトリーを侵されたとき、あるいは生命の危険を感じた時に限られる。
だが、セフィロスの判断は誤っていた。
かなりな距離を走って来たというのに、ズーはなおも執拗にセフィロスを追ってくる。そればかりか、スピードサウンドの群れがどこからか現れ、その鋭いくちばしをセフィロスに突き立てようと、素早い急降下で迫ってきた。
───何故?
モンスターのありえない行動に疑問を感じながら、携帯していた大型のシースナイフの鞘をなでる。
何羽ものスピードサウンドがセフィロスの横から滑るように、次々と急降下してくる。上半身を思いっきり仰け反らせて、スピードサウンドをかわす。ナイフを鞘から引き抜きざま、その首の付け根を一閃する。
頸動脈を切断されたモンスターは、血液をまき散らしながら失速し、砂の上にもんどりうって墜落する。
セフィロスは素早く宙返りをして、次の攻撃を待ち受けた。つねにズーの動きを視界から外さないように注意している。
大型といっても刃渡り30cm足らずのナイフだ。モンスター相手にまともに切り付けても、仕留めることはできない。相手を余計に興奮させる程度の傷を与えるのが精一杯だ。一撃で仕留めるためには頸動脈を狙うしか無い。
三羽のスピードサウンドを一羽ずつ片付け、地面を転がって起き上がった時、ズーの巨大な鈎爪が目の前に迫っていた。
セフィロスは膝のバネを思いっきり使って、後ろへ跳んだ。
ズーは両翼を広げたところが、7、8メートルはありそうな巨鳥だ。その首周りだけでも抱えきれないほどの太さがあり、このナイフの一振りで頸動脈を断ち切ることはできないだろう。
セフィロスは視界の端に入っていた黒い岩場を目指して走り始めた。ズーは低空飛行で追ってくる。
岩の上に駆け上がったセフィロスはそこで振り返り、ズーを待ち受ける。
鈎爪を突き出して、今にもつかみかかろうとしたとき、再びセフィロスは思いっきり横に跳んだ。
勢いよく突き出したズーの鈎爪は黒々とした岩の柱状節理の隙間に食い込み、一瞬その動きを止めた。
セフィロスは中空高く舞い上がり、ズーの脳天にナイフを突き立てる。
巨鳥は奇声をあげながらもんどりうって、セフィロスを弾きとばした。岩場からずり落ちると、大きな黒い翼を大きく数回ふるわせたあと、動きを止めた。
巨鳥のハネを一枚抜き取ると、セフィロスは予定通りミスリルマインを目指した。
前方に見えているミスリルマインの山裾のほうから、後方のコンドルフォートの砦のあたりまで、見渡す限り荒れ地が続いている。
このあたりは以前からそれほど豊かな土地ではなかった。それでもところどころに深い森があり、もうすこし変化に富んだ風景が広がっていたはずだ。
おまけにズーとスピードサウンドが現れた。このあたりに生息していたモンスターではない。
───生態系が変化しているのか。
セフィロスは100年という時の重みを感じながら、歩き始めた。
それからも、モンスターの群れは断続的にセフィロスを攻撃してきた。
できることなら、無駄に命を奪うことは避けたかったが、相手はそうは思っていないようだった。多少傷ついても、ひるむことなく襲いかかってくる。
まるで、セフィロスの命を奪うことを使命としているかのようだ。いくら気が進まなくても、息の根を止めるまで闘うしか無かった。
───それにしても、俺は殺し慣れている。
偽らざる思いだった。
身体が勝手に反応する、まさにその言葉通りの状態だった。モンスターと闘う記憶、ましてや生き物の命を奪う行為の記憶など、全く無いにも関わらず、だ。
どうすれば、敵を一瞬で仕留めることができるのか、考えなくてもよかった。
宝条博士はすべての記憶が失われているようだ、と言っていた。しかし、モンスターとの戦闘のように身体と知能の双方を複雑にコントロールする感覚経験は失われていないらしい。車の運転をしたという記憶は無いが、おそらく運転できるのだろう。
宝条博士がどのようにして記憶の神経ブロックを施したのか、わからない。しかし、戦闘方法の記憶をエピソード記憶の一種と考えれば、あるいは今は完全に失われている生活歴記憶も戻ってくるやも知れない。
そんなことをぼんやりと考えながら、セフィロスはナイフをふるい続けていた。
ミスリルマインにたどり着くまでにいったい何体のモンスターを倒しただろう。さすがに疲労が溜まっていた。
セフィロスの身体は、つい数日前まで海底のポッドの中に閉じ込められていた肉体だとは思えないほど滑らかに動いていた。駆ける時、跳躍する時、どんな動きにも筋肉は爆発的なパワーを見せ、心肺機能も申しぶんない働きだった。そして、戦闘に一区切りついたあとは、素早く疲労が回復していく。
しかし、その回復力にも限度があるようだ。夜も昼も、間断なく襲撃を受け続け、この坑道にすべり込んだ時には、思わず座り込んでしまった。
坑道の中はひんやりと冷たい空気がかすかに揺れ、湿った土の匂いがしていた。
今ではもうミスリルや石炭の採掘はおこなわれていないらしい。
しんと静まり返った坑道内は、あちこちに木の根が張り出し、崩れた岩が通路をふさいでいる。行きつ戻りつ、先へと進める道を探す。一度だけクロウラーの一団が現れたが、苦もなくかわすことができた。
ぼんやりと光の差す方角に進んでみると、そこには直径10メートルほどの縦穴があり山の上に通じているようだった。
───こんな縦穴もあるのだな。
地上に上がるとまた、鳥たちに襲われるのかもしれないと思いながらも、強い興味が湧き起こり、木の根をたどって登ってみる。
まだ魔晄エネルギーが実用化されていない頃、東大陸の人々はこのミスリルマインで採掘される石炭を主な燃料として使っていた。採掘現場はどんどんと奥地へと移動し、利用されなくなった坑道が通り道として使われ始めたのは、もう数世紀も前のことだ。枝道が迷路のように広がり、一見すると迷ってしまいそうだが、旅人がよく利用する通路は、最も早い時期に採掘が終わった部分だ。多くの旅人の足で踏み固められてわかりやすい通路となっていった。山越えのルートはやがて通るものもなくなり、人の手の入らない天然の森が覆いつくしていった。
縦穴を登りきったセフィロスの目の前に広がっていたのは、異様な森の姿だった。
───森の化石だ。
あたかも、瞬時に水分を奪われたかのように、木々はその葉をつけたまま乾燥し、灰色の石のように固まっている。セフィロスが一歩足を進めると、その靴底が踏みしめた部分に根を張っていた木が最後の力を使い果たしたかのようにばらばらと崩れ落ちていく。そのあまりにも不思議な光景に誘われるように、森の中へと足を踏み入れて行った。
いつまでも森の姿に見とれている暇は無かった。二羽の巨鳥がセフィロスを見つけ、舞い降りてきた。この重い身体で二羽のズーとの戦闘は辛い。しかし、縦穴からはかなり離れてしまった。
セフィロスは木立の影を縫うようにして森の奥へと走り出した。獲物の姿を見失った一羽のズーが奇声を放ちながら大きく羽ばたくと、激しい風が巻き起こり乾いた森の木々はいとも簡単に砕け散り、吹き飛ばされていく。セフィロスの長い髪もちぎれそうになぶられた。まる裸になった森の残骸にはもう、身を隠せるところは無い。
巨鳥はくちばしや羽での直接攻撃をせず、狡猾にも離れたところから風を使って攻めてくる。ナイフを携えただけのセフィロスには有効な反撃手段が無い。
体力が充分に回復していれば、上空の巨鳥の高さまで跳躍することもできたかもしれない。しかし今はどうだろう。
速度を落とすこと無く疾走しながらあたりを見渡すと、右手の方角に濃い緑のこんもりとした茂みが見えていた。
───あそこに入り込めば、少しは有利に闘えるか。
進行方向を右に変えると、一羽のズーがさらに右から回り込むように迫ってきた。走り続けてきたセフィロスの足は重さを増している。
あと少しで茂みに届くというのに、どうやら一羽に追いつかれてしまった。背後に強い羽ばたきの風を感じたとたん、鋭いかぎ爪がセフィロスの背中に掴みかかる。
「ぐっ!」
必死で地面を転がったセフィロスの左肩は、肉がはぜ、割れた柘榴の実のようになっている。片手を地面に付いて空を振り仰ぎ、巨鳥の姿を確認した。セフィロスを傷つけたズーは、一度大きく舞い上がり、旋回しながら様子を見守っている。
そこへ、もう一羽のズーが飛来し、滑るように一直線にセフィロスに向かってきた。再び、眼前にかぎ爪が迫る。セフィロスの身体はさらに深く沈み、そして、大きく跳躍した。
ズーの背中に飛び乗ったセフィロスは、後ろからその首をかき抱くようにして、ナイフをふるった。すでに大量の血脂にくもったナイフの切れ味は落ちている。渾身の力を振り絞って、ズーの首に突き立てた刃を横に引き抜く。
血しぶきをまき散らしながらもがく巨鳥は、セフィロスが目指していた茂みの横へ向かって突っ込んでいく。ズーの背中から振り落とされたセフィロスはもんどりうって、その勢いのまま茂みの中へ転がり込んでいった。
左肩に激痛が走る。フラフラと立ち上がり、よろめきながらも茂みの中へ踏み込んでいった。
あれほど乾燥しきっていた山の植物が、そのあたり一帯だけは異常な猛々しさで生い茂っていた。どれもこのあたりでは見かけたことの無いものばかりだ。曲がりくねった幹と厚みのある葉、幾重にも絡まりあう巨大な葉の蔓植物、毒々しい色の甘い香りを放つ花。
その茂みを踏み分けて入ると、2メートルほどの石の立方体があった。
石を背に、ずるずると腰をおろして座り込む。上空を見上げると、残り一羽のズーはまだ上空を旋回していた。セフィロスの居場所がわかっているのか、何度もこちらに降下してくるが、茂みのすぐ上まで来ると弾かれたように引き返している。
セフィロスは石に頭を預けるようにして、目を閉じた。
───すこしだけ。
身体を休めることに集中する。あたりは静けさに満ちている。どんなモンスターの気配もない。
墜落するように眠りに落ちていた。
ほんの10分ほどの短い眠りから目覚めると、すっきりと疲労が取れていた。あれほど重く張っていた全身の筋肉から疲労物質は取り除かれたようだ。左肩からの出血はすでにほとんど止まっていた。
上空を舞っていた巨鳥も今はもういない。
立ち上がると、背もたれにしていた石の立方体を振り返った。
己の流した血が赤黒く石の表面を汚していた。表面に何かの図柄が浮き彫りになっている。垂れ下がる蔓を押し上げながら全体を見渡すと、そこには三つの場面が描かれていた。
まず左側面には大地に向かって長く尾を引きながら飛来する巨大な隕石。そして、先ほどまでもたれていた面には二人の戦士が刃をかわしている場面だ。体格の良い長髪の戦士が、小柄な戦士の剣によって胸を貫かれている。右側には、巨大隕石を包み込むように地表に噴き上げるライフストリームが描かれている。
さらに立方体の後ろに回り込むと、太陽と月のモチーフが上下に分かれて配置されて刻まれている。
もう一度正面にまわり、二人の戦士を見つめた。
何故だか胸騒ぎを覚える。取り返しのつかないことをしてしまったときのような、漠然とした、しかし深い喪失感がセフィロスを襲う。
───俺はこの情景を知っているんだ。
ふいに、自分がしっかりと大地を踏みしめているのかどうかわからなくなった。
不安にかられながらも、逆にいつまでも見つめ続けていたいと感じる。
その奇妙な誘惑に逆らい、セフィロスはグラスランドの方角を目指して山を下りはじめた。