エッジの街に戻ったセフィロスは中央広場に近い宿に部屋を取った。モンスターとの戦闘で得たアイテムは希少価値のあるものが多かった。アイテムショップを見つけて立ち寄ると、かなりな高額で引き取られ、買い物の足しにすることができた。
バスルームで熱いシャワーをすませたセフィロスは鏡に向かっていた。銀の戦士に似ていると言われるまで、全く意識していなかった自身の姿と対面する。
汗と砂埃をきれいに洗い流した髪は、水分を含んで鈍い銀色の輝きを放ち、肌は磁器のような白さとなめらかさを取り戻している。瞳は発光しているかのような翡翠色で、驚くべきことに、瞳孔が縦に長く切れている。
均整の取れた身体はかなり上背があり、無駄のない実用的な筋肉に覆われていた。この身体なら戦士としては理想的だろう。二度も刀傷を受けて死んだというのに、身体にはひとつの傷も無い。
宝条博士は、ジェノバ細胞を使った実験によって俺を生み出したと言っていた。
───なるほど、確かに俺は普通の人間ではないのかもしれないな。
ベッドに腰掛けて、テレビのスイッチを入れ、街で買い集めてきた新聞や雑誌、現代史の専門書に目を通していった。メアリーの話に出てきた“シンラ共和国”と“コスモ連合”というのが、気になっていた。大急ぎで集めた資料によると、いまこの星では世界を二分する勢力が争っているらしい。
ひとつは、ここ、東大陸のミッドガル、グラスランド、ジュノンの三つの州を統治するシンラ共和国。
この国家の成り立ちには、かつての神羅カンパニーの存在が大きく関わっている。歴史書によると、メテオ大災害のあと、神羅カンパニーの二代目社長ルーファウスは、復興に向けての積極的な支援をおこない、また魔晄エネルギーに代わる新たな代替エネルギーの開発に力を注いだらしい。
神羅カンパニーはこの時期に一企業としての姿を縮小しながら、政治的にミッドガルエリアを掌握し、国家として成立させるための基礎固めをしたのだという。
そして、もう一つの勢力、コスモ連合。
こちらは、西大陸のコスモキャニオンを擁するコスモを中心に、いくつかの国がそれぞれの主権を維持しながら、政治的・経済的に統合した連合国家を形成している。シンラ共和国への抵抗勢力がコスモキャニオンの学府の力を借りて、政治と結びあい、設立されたのだという。
かつて神羅カンパニーがエネルギーの供給によって世界を支配していた頃から各地に小さな抵抗勢力はあった。メテオ大災害以降、魔晄エネルギーの使用を巡って各方面で論争が巻き起こり、やがて、コスモキャニオンが情報発信の中心となって、ライフストリーム枯渇の危険が周知されていく。その後、魔晄エネルギーを営利目的に使うことが国際法によって禁止されていった。
そのあおりを受けて、神羅カンパニーはその支配力を弱め、逆に抵抗勢力は息を吹き返した。
メテオ大災害後、およそ十数年後にはこのような東西問題の兆しが見え始めたようだ。長く冷戦状態が続いたものの、近年、局地的な武力衝突が頻発するようになってきている。
セフィロスが気にしていたのはもう一つ、この東大陸の自然環境のあまりの変わりようだった。この東大陸はほぼ全面的に砂漠化していると言っても過言ではない。
生態系にも大きな変化が見られた。本来東大陸に生息していなかったモンスター、ズーとスピードサウンド。そして、見たことも無い巨大なサンドウォーム。
学者のみならず、シンジのような一般の生活を送る人たちも、この急速な変化に不審に感じているのだ。
環境激変の問題については、コスモキャニオンの『生物多様性センター』と、カームの『シンラ国立環境研究所』が、それぞれ独自に研究を進めている。東西間の緊張が高まっており、両者の情報共有は進んでいないらしい。新しい雑誌にはシンラ国立環境研究所の成果発表だけが目に留まる。
資料から視線を上げ、窓の外に目を向けたセフィロスは、ふと、宿を取る前に広場で見かけた光景を思い起こした。
ひとりの男がふらふらとした足取りで、中央広場の記念碑からこちらに向かって走って来た。何事か大きな声でわめいている。立ち止まると、石畳の上にぺったりと座り込み、ゼイゼイと息を喘がせている。
「うっ……!」
男は苦悶の声を上げると、頭を抱え込んだ。
「いやだ!助けてくれ!僕は、僕はこれから行くところが……。ああーっ!」
男は両腕を高々と差し上げた。身につけていた上着の袖が徐々にふくらみを増し、内側からミシミシと音を立てている。男は恐怖におののいた目で自身の両腕を見つめ、ふと、セフィロスのほうへ助けを求めるような視線を投げ掛け、手を差し伸べた。
そこへ、大きな軍靴の音を立てて、10名ほどの軍人が駆け寄ってきた。防護服を身に着けた数名が、素早く男の身体を拘束する。男の背中に太い注射器が突き立てられた。
丁度そのとき、捕らえられた男の袖の布地が張り裂け、中から人間のものとは思えない腕が現れた。グロテスクな赤紫に変色し、異様な形に盛り上がった筋肉の一部には瘤のような血管がうねっている。
さっと、毛布が広げられ、男の姿は広場の衆目から隠された。
「うう……、行かなければ……」
くぐもった声が聞こえていたが、やがて静かになった。
軍人たちは男を毛布にくるんだままストレッチャーに乗せて、広場の端に停車していた軍用のトレーラーに搬入した。
一部始終を見守り、立ち尽くしていたセフィロスに、白衣をつけた医師と思われる人物が歩み寄ってきた。
「患者との接触はありませんでしたか?」
「患者?」
「はい、あの人はマクダフ症候群ですよ」
「マクダフ症候群? 伝染病なのか?」
「接触感染だと言われています。感染率はとても低いのですが、患者の血液や体液に触れることはとても危険です。あなたも、もし目眩や悪心を感じたら、すぐに最寄りの医療機関か、保健センターへ行って下さいよ」
医師は踵を返して、男を運んでいく一団を追っていった。
夕刻に見た光景をまざまざと思い起こしていたとき、部屋に備え付けられたテレビでも、ちょうどこの病気のことが報道され始めた。
ここ数年来、ミッドガルエリアを中心にこの奇病が流行しているという。各地でポツポツと発生していた奇病の存在を見つけ、研究の中心となっているジャック・マクダフ医学博士の名が病名に冠せられている。
病気の主な症状は、目眩や幻覚症状から始まり、人格の変貌、自我の喪失と病状が進み、果ては廃人と化すか、死亡するという。病気の原因や感染ルート、潜伏期間などはまだ不明で、治療方法も見つかっていない。番組の中では身体の膨張や変形に付いては触れられていなかったところをみると、まだ解明されていない要素の多い病気と言える。ただ、事実として、発症1年後の生存 率は約50%、3年後は70%───。
セフィロスの前に姿を現したのは、病み衰えた世界だった。
◆◆◆◆◆◆
「はじめまして、わたくしこういう者ですが…」
ここはセフィロスが部屋を取った宿の地下にあるレストランバーだった。
それほど空腹は感じていなかったが、温かい食事をとって、調べもので凝り固まった頭と気持ちをほぐしたかった。
食後のコーヒーがテーブルに置かれた、絶妙のタイミングでその男は声をかけてきた。
差し出された身分証には、『シンラ共和国・大統領付特別調査室 マルサリス調査官』とあり、顔写真が一緒に載っていた。マルサリスは朗らかそうなハシバミ色の瞳と亜麻色の柔らかい髪をもつ、美しい青年だった。
「俺に何か?」
怪訝に思いながらセフィロスは問い返した。今の自分に用事がある者など、この街にいるはずが無い。嫌な予感を押さえ込み、強い拒絶の色をその瞳に強く出す。
「まあ、そう恐い顔をなさらずに。旧ミッドガル市街観光ツアーのお誘いですよ。ミスター・セフィロス」
ちゃっかりと自分もコーヒーを頼み、するりと向かいの席に座ってしまったマルサリスは、ニコニコと笑みを浮かべている。
いきなり名指しされた驚きの表情を瞬く間に消し去ったセフィロスは、静かな視線で彼をとらえた。
「貴方、グラスランドエリアで“ケアル”を使用しましたね? マテリアの使用が禁止されていることはご存知で?」
話の内容とはまったく合わない楽しそうな笑顔を浮かべて問いかけるマルサリス。相手の真意がわからないセフィロスとしては、うかつな返事はできなかった。
もし、ロビンの怪我を治療したことを言っているのなら、その時マテリアを使わなかったということは知らないのだろうか?
マルサリスはこちらの行動を掴んでいるのだと、揺さぶりをかけているのだろうか。友達になりたくて近づいてきたのではないことだけは確かだ。
「……」
セフィロスは黙したままコーヒーに口を付けた。
「ま、いいでしょう。かつて神羅の英雄といわれた貴方が人助けのためにしたことです。大目に見ましょう。それより、いかがですか? 久しぶりの地上での生活は?」
「……」
セフィロスはその言葉に、片眉をピクリとつり上げたが、無関心な態度を崩さない。
「ま、私のことを胡散臭いヤツと思われても、致し方ありませんね」
言葉とは裏腹に、少しも残念そうでは無いため息をつき、マルサリスは続ける。少し声をひそめて、極上の秘密を打ち明けあう仲であるかのように、親密さをにじませて言った。
「いえ、この国の中枢はその母体を神羅カンパニーから引き継いでいるものですからね。当然、貴方のお父上の研究に関しても、我々のほうで掌握し管理しております。そろそろ貴方がミッドガルに近づかれる頃だと思って、お待ちしていたんですよ」
雑然と込み合うレストランバーは穏やかに食事を楽しむ客よりも、酔客の数が増えてきたらしく、賑やかな音楽と会話に満たされている。
にこやかで上機嫌なマルサリスと、冷たい視線をじっと相手に注ぐセフィロス。正反対の印象ではあるが、二人の人目を引く容貌と、その間に流れる奇妙な空気のせいで、なんとなく周囲の視線がこのテーブルに注がれていた。
「ところで、ミスター・セフィロス。貴方、どのくらい昔の記憶がありますか? 宝条博士のプログラムを検証させたうちの研究所員の話では、ほとんどの個人的な記憶は残っていないだろうと言ってましたが?」
「それが、お前と何の関係がある?」
「これは失礼しました。いえ、我々は元“神羅の英雄”である貴方が、このシンラ共和国に戻ってきてくださったことを歓迎しているのですよ? そして、貴方が記憶を取り戻されるお手伝いをさせていただきたいのです」
「ほう」
セフィロスは目を細めてマルサリスを見た。
「僕は、伝説の神羅の英雄をお迎えする担当になれて、本当に光栄だと喜んでいます。あ、そうそう、旧ミッドガル観光ツアーのお誘いは冗談ではありませんよ。ぜひご一緒したいと思っています。いかがですか?」
不躾なんだか、丁寧なんだか、よくわからない青年マルサリスは、セフィロスの意向などおかまいなしに、一人で話を進めている。
「貴方は、神羅カンパニー随一の天才科学者だった宝条博士の最高傑作なんです。人類に救いをもたらすはずの存在だったのです。しかも、世界中の国を巻き込んだ大戦に終止符を打った神羅軍の英雄ですよ。それなのに、貴方は一人の男に2回も殺されたんですよ?」
マルサリスは興奮を押さえられないといった様子で話している。セフィロスはふとマルサリスから目をそらし、右手を口元に寄せて考え込んでいる。
───この男の態度はどうも嘘くさいが……確実に昔の俺のことを知っているということか。
「子供に……」
「えっ?」
「子供に銀の戦士か、と聞かれた」
一瞬、きょとんとした顔つきになったマルサリスは、すぐに合点がいった様子で大きく頷いた。
「あ〜あ、それは、貴方が2回目に殺された、いや、失礼。メテオ大災害の決戦ですね。そうですよ、貴方はあの銀の戦士に間違いありません。しかし、あのメテオを呼んだと言われている貴方は、心神喪失の状態にあったのです。ですから、罪に問われる心配はありません。別に気にする必要はありませんよ。やはり、何も覚えていらっしゃらないのですね?」
マルサリスは、嬉々とした態度でセフィロスの半生を語って聞かせた。
セフィロスが『ジェノバ・プロジェクト』から誕生した新しい生命体であること、ソルジャーたちのこと、古代種のこと、そしてセフィロスがあるとき突然狂ってしまったことを話した。
「ミスター・セフィロス、メテオを呼んで星を破壊しようとした貴方は、北の果ての大空洞の中で金の戦士に倒された。しかし、その5年前にもニブルヘイムの魔晄炉で、生身の身体を正宗で貫かれて、ライフストリームに落ちているんだそうです。公式には、貴方はその時に死んだことになっている。
大空洞に現れた“セフィロス”がどういう存在だったのか、実のところ、いまだにわかっていないんですよ。貴方自身の記憶が無い今となっては、もうそれを知るすべは失われたのかもしれません。
結局、生き残ったのは金の戦士でした。そして彼はすべてをその手中に収めようとした」
心神喪失……?
この嫌に明るい美青年のいうことがどうもすんなりと心に落ち着かず、不快感が募っていた。
「なるほど、よくわかった。だが、そろそろ一人にしてくれないか? それと、ミッドガルには一人で行く。案内は不要だ」
マルサリスはよく動いていた口を閉じると、しばらく黙考した。そして、意外にもすんなりと席を立って言った。
「そうですね。貴方も長旅と、久しぶりの地上生活でお疲れでしょうし。今日のところは失礼します。そう、これだけはお渡ししておきます」
彼は上着の内ポケットから封書を取り出し、差し出した。
「確認していただけますか?」
セフィロスは、封筒の中味を取り出し、眉根を引き絞った。
───帰還命令書。
「あなたは、今でも正式にシンラ軍の所属です。こうして無事に戻られたのですから、本隊への帰還命令に従っていただく必要があります。忘れないでくださいね。貴方はあの宿敵を今度こそ倒されるのでしょう?貴方を2度も殺した“金の戦士”をね」
「?」
うっかりと率直な驚きをその顔に浮かべて、セフィロスはマルサリスを見上げた。
「私たちは国を挙げてそのお手伝いをさせていただきますよ。“金の戦士”とシンラには因縁があります。貴方と彼がそうであるようにね。明日もう一度お迎えに上がります。ぜひカームにあるシンラ共和国の大統領官邸内特別調査室までお越しください」
屈託の無さそうな笑顔を見せ、丁寧に一礼すると、マルサリスは店を出て行った。