ナナキは家の外に出ると、玄関前のポーチに陣取った。
セフィロスはひと言、「クラウド…」とつぶやいたきり、まるで夢を見ているような表情で、家の中のあらゆる場所をじっくりと歩き回っていた。彼の瞳には、押しころされた激しい感情の起伏が見て取れた。
最初にこの家を見た時に半壊していると感じたのは間違いだった。家の後ろ半分が壊れてしまっているように見えたのは、家の背後に隣接したビルの残骸が倒れかかっていたせいだった。家の内部は方々から入り込んできた砂にまみれてはいたが、家そのものの骨組みは無傷だった。
とはいえ、ナナキの目に映るのは今にも崩れ落ちそうな、砂ボコリをかぶった室内だ。垂れ下がったカーテンは朽ち、ところどころ割れてしまった窓ガラスが散乱している。しかしセフィロスの目には、おそらくかつてここで過ごした幸せな時代のままの姿が甦っているのだろう。その瞳にゆらめく色の移り変わりは、ナナキにとって見るにしのびないものだった。
ナナキは複雑な思いにとらわれていた。
かつて、ナナキはクラウドから聞かされたことがあった。クラウドとセフィロスには過去に共に過ごした時期があったと。
その時のクラウドの表情をナナキは今も忘れることができない。あれは、深い絶望の淵に沈んだ瞳だった。彼の青い瞳は冷たい海の色をしていた。ナナキはそんなクラウドの顔を正視するのが辛くて、それ以上詳しく聞く気にはなれなかった。大好きなクラウドに、こんなに深い絶望を残して逝ったセフィロスへの怒りが、消えることの無いものへと変化したのはこの頃だった。
今のセフィロスの様子を見ていれば、ふたりが共に過ごした時期というのがどのようなものであったのか、ナナキにもおぼろげながら想像がつく。
だが、セフィロスはまだ、クラウドのことを一部分しか思い出していないのだ。
金の戦士が誰のことなのか、セフィロスが知ってしまったたらどうなるのだろう───。
あの時のクラウドと同じ深い絶望がこの男を捕らえるのだろう。不思議なことに、クラウドに絶望をもたらした男に、同じものを与えて溜飲を下げたいとは思わなかった。ナナキの気持ちはすっかり沈んでしまった。
バラバラと激しく耳障りなローターの音が近づいてきて、上空にヘリコプターが一機、姿を現した。ひときわ強い風が起こり、砂を巻き上げながら庭園に近づいてホバリングする。
がさっと壊れたドアを踏む音がして、セフィロスが玄関から出てきた。長い髪を強い風に乱されながら、ヘリを見上げた。
「シンラ軍のヘリだ。どうする?」
ナナキは立ち上がり、鼻にしわを寄せた。
ヘリからラダーがおろされ、二つの人影が邸の庭に姿を現した。こちらへ近づいてくる。ひとりは昨夜セフィロスに話しかけてきたマルサリス。もう一人、軍服に身を包んだ女性がいた。
マルサリスは今日も極上の笑顔をセフィロスに向けている。
「探しましたよ。ミスター・セフィロス。てっきり神羅ビルにいらっしゃるとばかり思っていました」
「何故ここへ?」
セフィロスは不信感をあらわに問い返した。
「小一時間前に、またマテリアを使ったでしょう? 魔晄感知センサーがこの場所を特定してレポートしてきました。きっと貴方だろうって思いましたから」
魔晄感知センサーなんてものがあったのか、と内心驚きながらも、ナナキは無言で様子を見守っていた。
「いまはマテリアを使える能力を持つ人は殆どいませんし、センサーも無用の長物となっていましたが、今回はずいぶん役に立ってくれました」
「何の用だ」
「は? ええ、昨日お誘いしたとおり、カームへご一緒願おうと思いまして。お迎えに上がったのですよ」
セフィロスは、唇の端をすこし吊り上げた。
「あいにくだ。俺は今から行くところがある。お前たちに付き合うつもりは無い」
そう言うと、ナナキにちらっと目配せをして歩き始めた。
「ミスター・セフィロス、お待ちください。私達は貴方とゆっくりお話がしたいだけなのです。どこかに行かれるなら、後でどこへなりとお送りいたしますよ。ですから……」
「……話したいというだけなら、どうして俺たちを包囲している?ここを取り囲んでいる兵士の数に気付かないとでも思っているのか?」
「!」マルサリスは顔色を変えて、アイラーを振り返った。
アイラーはマルサリスの背後から、緊張した面持ちでセフィロスを見据えていた。ゆっくりとした足取りで数歩前に出ると、アイラーはよく通る声で言った。
「兵を配備したのは自分だ。なぜなら、私は貴官がマルサリスの誘いには乗らない、加えて貴官がとても危険な存在であると判断したからだ」
「アイラー調査官、いったいこれは……」
「マルサリス、ここは私に任せてもらおう」
アイラーが片手を上げると、物陰に潜んでいた大勢の兵士たちが音も無く姿を現した。たくさんの銃口がぴたりとセフィロスに狙いを定めている。
「力ずくで、ということか」
セフィロスは肩をすくめた。
「この程度の武力で俺を足止めできると?」
黒いブーツがジャリッと砂を踏み替えた。すかさず片手を前に伸ばしてアイラーが制止する。
「待て。これは自分がどうあっても貴官に同行いただくという決意の表明だ。
貴官はこの100年間ずっと神羅カンパニー私設軍ならびにシンラ共和国軍の管理下に置かれていた。貴官は昔の記憶を失っていると聞いているが、自身がどれほどの破壊力を秘めた存在なのか理解しているだろうか?
我がシンラ軍は貴官を対コスモ連合戦の切り札として位置づけている。自分は貴官に“協力”や“要請”をおこなうつもりはない。ここにあるのは“命令”だと受け取って欲しい」
「ばかな」
「簡単に理解を得られるとは思っていない。だが、自分はこの場で貴官の戦闘能力を試す愚は避けたい。…………キャラバン隊の娘、ロビンという名だったか」
アイラーの言葉にセフィロスが一瞬身体をこわばらせた。
「なに?」
「……カームでお預かりしている」
ハラハラしながらやり取りを見守っていたナナキは、その瞬間、キーンと鼓膜が引きつり、全身が泡立つような異常を感じた。
セフィロスの身体からは怒りがほとばしっていた。目に見えないはずの怒りが、青い冷気の帯となって全身から放出され、身体の表面をはうように取り巻いている。あたりの空気がバリバリと音を立てて振動していた。銀色の髪は重力から解き放たれたようにふわりと浮き上がっていた。
「セフィロス!」ナナキは思わず叫んだ。
復活して以来、セフィロスが初めて見せる感情の乱れだった。いや、乱れなどという生易しいものではなかった。このままでは取り返しのつかないことになる。
「セフィロス!!」
ナナキはセフィロスとアイラーのあいだにその身を躍らせた。
アイラーの言葉によって引き起こされた感情の爆発は、セフィロスにとっても予測できない事態だった。視界がグラリと歪み、内臓がねじれるような痛みを感じた。その痛みの中からうっそりと暗い闇が姿を現し、怒りを放出している。この闇に身を任せ、怒りを解放することに甘美な誘惑を感じた。しかし、同時にそれを押しとどめる何かがセフィロスの身内に存在し、激しく葛藤していた。
そのとき、視界にナナキが飛び込んできたことで、セフィロスはその闇から一瞬気持ちを逸らすことができた。
目を閉じて眼前で起こった出来事すべてを、心の中からいったん消し去る。コートのポケットに入れていた天然マテリアのペンダントをさぐり、握りしめた。マテリアから手のひらへ温かい波動が伝わり、全身が満たされていく。それは彼の沸き立った怒りを静かに鎮めていった。
セフィロスを包囲していた兵士たちのほとんどは、照準を合わせることも忘れてその場にへたり込んでいた。彼の全身から放出されていた怒りは、同じ人間のものとも思えない激しさで兵士たちの心を凍りつかせた。マルサリスもアイラーも、恐怖に顔色を失い、立っているのがやっとといったありさまで氷結していた。
「セフィロス、落ち着いた?」
閉じていたまぶたをゆっくりと開いてナナキを見たセフィロスの瞳は、すでにさざ波すら感じさせない湖面のような静けさをたたえていた。ゆっくりと頷くと、改めてアイラーに向き直った。
「いいだろう。ロビンを引き取りにカームへ同行しよう」
「ふぅ〜」
マルサリスは詰めていた息を細く吐き出した。頬を青ざめさせたまま小さな声でつぶやいた。
「結果オーライだけど、アイラー調査官、あなたのやり方はいつも心臓に悪いよ」
アイラーはまだ強ばった表情でセフィロスを凝視していた。
「ただし、言っておくことがある」
セフィロスもアイラーを見据えたまま言葉を続けた。
「連行の形を取りたいのかもしれんが、出来れば警備の兵士は無くして欲しい。街の外に出ると、モンスターが俺の命を狙って襲ってくる可能性が高い。俺を警戒する気持ちはわかるが、同行することで死人を出すはめになってはかなわない」
「そんなバカな。ミスター・セフィロス、モンスターが特定の人間を狙ってくるなんてあり得ませんよ」
マルサリスが言い募るのを聞きながら、アイラーはしばらく考えたあと、セフィロスに同意を示した。
「いいだろう。どのみち何人で取り囲んだところで貴官の行動を制限できるとは考えていなかった。すこし狭いが、このヘリでカームへ直行しよう」
上空に待機していたヘリは、操縦者を含めて定員4名だった。
ナナキがセフィロスに先んじて、さっさとヘリに乗り込み後部座席の奥へ陣取ってしまった。セフィロス本人もナナキを同行したいと言うので、マルサリスは仕方なく、ほかの兵士たちとともに陸路でカームへ向かうことになった。
カームはいま、シンラ共和国の首都となっている街だった。近づいてくる街を上空から観察すると、広場を中心に放射状に広がった昔ながらの市街地の横に、巨大なシンラ軍の基地が連なっているのがよくわかった。
この基地は大統領府に近いこともあり、シンラ軍の統合参謀本部が置かれている。ここを本拠地とするのはおもに陸軍で、空軍および海軍はその主力をジュノンに配置しているという。
市街地と基地エリアを繋ぐ地区がきれいに整備され、官邸をはじめとする政府の主要機関が集まる庁舎が建ち並んでいるようだ。
アイラーは飛行中、セフィロスの視線の先にあるものを敏感に察して教えてくれるのだった。
「大統領官邸へ同行してもらう予定だったのだが、貴官のいうところの危機に備えて、防御体勢を敷きやすい軍の施設へ変更したいと思うがどうか?」
アイラーは生真面目な口調でセフィロスに問うた。
「結構だ。どこへなりと同行する。しかし、まずはロビンを返してもらう。話はそれからだ」
「了解した」
アイラーは携帯端末を取り出すと、素早くどこかへ連絡を入れているようだった。まもなく、ヘリは基地の南寄りにあるヘリポートに着陸した。
アイラーはふたりを<第一資料閲覧室>と書かれた一室に案内した。そこはヘリポートからもっとも近くにある、装甲を施された3階建ての建物だった。
「すぐにでもシンラ軍の幹部にお会いいただきたいのだが、キャラバンの娘をこちらへ連れてくるまでここでお待ちいただきたい。官邸からはすでに出発している。あと30分もすればこちらに来るだろう。」
セフィロスは頷いた。ナナキはぐるりと頭を巡らせて大量の書籍を眺めている。
アイラーはブーツのかかとをカツカツと鳴らして部屋の奥へ進み、その一角を示して言った。
「……ここには、神羅カンパニー時代の資料が収蔵されている。メテオ大災害より後に発行されたものが殆どだと思うが……。もし興味があれば自由に閲覧されるとよい。ただし、ここで見たものについては他言無用に願いたい」
アイラーは部屋の入り口へ戻った。ドアの外で歩哨にたっていた兵士に何かを言いつけたあと、自分が開け放したドアの前に立ち、立哨に入った。
セフィロスは書架に並ぶ文献の背表紙を順に眺めていった。失った自分の記憶を埋めるものが見つかるのではないかと期待する気持ちが動いた。そもそもここにいるのはロビンをダシにしたアイラーの計略に乗せられた結果ではあるが、過去の自分に繋がる可能性のある、あらゆるチャンスを逃したくないというセフィロス自身の思惑もあった。
『神羅製家庭用電気製品一覧』
『神羅カンパニー社史』
『神羅製兵器一覧』
『神羅製輸送機一覧』
『魔晄冷却システムと魔晄炉』
『人工マテリア製造の歴史』
最初の書架には古ぼけた装丁の分厚い書籍が並んでいた。まったく脈絡無く並んでいるようだ。
───電子ファイルがあればいいが……。
そう思いながらとなりの書架に目をやると、分厚いバインダータイプのたくさんのファイルが並んでいた。
『ミッション・レポート───1992年グラスランドエリア』
『ミッション・レポート───1992年ゴンガガエリア』
『ミッション・レポート───1992年ノースコレルエリア』
1992年といえばメテオ大災害の5年前にあたる。ニブルヘイムの魔晄炉で自分の身に何事かが起こり、消息不明になった、あるいは死亡したとされる年だ。あいにくニブルエリアのレポートが欠けていた。
セフィロスはその視線を書架の上段から徐々に下段へ移していく。続いて現れたファイル群は、神羅カンパニーの科学部門から発表された研究論文のようだった。
『論文/メテオ大災害におけるライフストリームの役割』
『論文/メテオとホーリーの量子力学』
『論文/究極魔法発動の条件───だれがそれを成し得たか』
目にとまったそのファイルを引き出し、近くのテーブルの上に広げた。パラパラとページをめくり流し読みする。論文は、究極魔法を発動することの出来る魔力と精神力などの必要値やそのバランスについての数値的な検証を行っていた。
たいして興味を引かれる内容でもなかったと思い始めたとき、ぱらりと現れたページに、自分の写真が掲載されているのが見つかった。
丈が長く黒いコートとその両肩にプロテクターを着けた立ち姿だ。補足資料として添付されたものらしい。
『メテオの発動者───セフィロス
元神羅軍ソルジャー・クラス1st。1992年ニブルヘイムの魔晄炉の事故で炉内に転落し死亡したとされていた。その後メテオ発動まで5年間の消息は不明。
※パーソナルデータについては、神羅カンパニー私設軍でも極秘扱いであったため、詳細は不明。本論で示した数値に関してはすべて推定値』
そして、ページをめくると予想通りホーリーの発動者について述べられていた。写真は掲載されていない。
『ホーリーの発動者───クラウド・ストライフ
元神羅兵。階級、役職ともに不明。セフィロスと拮抗する実力からソルジャーであった可能性も残る。反神羅グループ・アバランチのメンバーと目されている。アバランチに関する神羅カンパニーのレポート中には該当者無し』
───クラウド・ストライフ!?
パンッ!と音を立てて、セフィロスはファイルを閉じた。
驚いたナナキがしっぽをピンと立てて振り向いた。セフィロスは書架に近いテーブルに両手をつき、うつむきかげんに立っていた。
「どうした?セフィロス。」
「ナナキ───」
声を絞り出すようにしてセフィロスが何か言おうとしたとき、小さな足音がパタパタと近づいてきた。
「おにいちゃん!」
閲覧室の入り口にアイラーに手を引かれたロビンの姿が現れた。自然にアイラーの手を離し、セフィロスに駆け寄ってくる。セフィロスは片膝を床についてロビンを待ち受けた。ロビンはセフィロスの目の前で立ち止まると、困ったような顔をして言った。
「迎えにきてくれたの?」
「ああ。」
「ごめんなさい。ロビン、迷子になっちゃって。あたらしいお家の場所がわからなくて……」
セフィロスはロビンの頭を優しく撫でた。ロビンの表情がホッと緩んだ。
「あのおねえちゃんがね」ロビンはアイラーを振り返って言った。
「おにいちゃんがきっと迎えにきてくれるって。だから、ロビンは泣かずに待っていたよ」
「そうか」
「うん」
「母さんのところへ帰ろうか」
「うん!」
様子を見守っていたアイラーがタイミングを見計らって声をかけた。
「では、そろそろ会議室へ移動していただこうか」
セフィロスは立ち上がりナナキを目で促した。
心の中は先ほど目にした論文中の文字列に完全に支配されていた。
『ホーリーの発動者───クラウド・ストライフ』
誰かに詰め寄って問いただしたいような苛立ちを抑えて、セフィロスはアイラーに従って歩き出した。
「ナナキ、ロビンと一緒に俺の側から離れないように」
「わかった」
「あ!まもりてさま、おしゃべりした!」
ナナキはロビンのほうを向くとニヤッと笑った。
「驚いた?」
「うん!ビックリした!」
ロビンは嬉しそうに笑った。