エッジでバイクを入手したセフィロスとナナキはそこから西の方角、北大陸に向かって突き出した岬の手前にある、起伏に富んだ海岸を目指した。バイクでの移動が何らかの功を奏しているのか、モンスターの襲撃は無かった。
ルーファウス・ベイは小さな入り江がいくつか連なる海岸線に延びる、港と別荘地で構成された街だった。
船の調達について話が聞けるところを探してマリーナを歩いていた時に、クルーザーを譲っても良いという夫婦に出会えたのは幸運だった。道楽で買ったはいいが海に出て遊ぶ暇がないのだという。
全長25フィートほどのオープンタイプの操舵席と広いデッキ、コンパクトな船室があり10名は乗船できるということだった。ナナキとふたりで海峡を渡りたいという目的には贅沢すぎる代物だ。
星の護り手様の役に立つのなら代金はいらないという夫婦の申し出をありがたく受けいれ、クルーザーを借り受けることになった。代金にはとうてい満たないが、借受証代わりにバイクを預かってもらうことになった。
準備と言ってもたいしたことはしなくていい。燃料と食料をいくらか調達するだけだ。
明日の夜明けを待って出航しようと決めたふたりは街はずれの小高い丘の上に登った。あたりの岩や砂地は夕日を浴びてオレンジ色に染まっていた。
ナナキが腹ごしらえしようと言ってバイクのサイドバッグに入れておいた包みを取り出した。どう考えてもナナキのために用意されたと思われる、塩気の無いただ焼いただけの肉のかたまりがぎっしり入ったものだった。
嬉しそうにランチボックスを差し出すナナキを思い出して苦笑しながら、セフィロスはまた記憶の波に飲み込まれた。
赤いバンダナできっちりと包まれたランチボックス。
バンダナの結び目をほどく白い手。
サンドイッチをつまみ上げる。
口元がほころび、赤い唇が光る。
───これはどこの風景だろう?
小高い場所で傾きかけた日差しを浴びていた。遊びに夢中になりすぎて昼食を取り損ねたのだ。場所は……、思い出せない。だが、あの日クラウドは背伸びをしてその白い手で、初めて俺の頬に触れた。
壱番街の屋敷跡でクラウドをはっきり思い出してからは、彼にまつわる様々な記憶が断続的に甦ってくるようになっていた。ちょっとした光景にさえ刺戟を受けて、それに似た記憶が引き出されているようだった。
次々に胸をよぎるクラウドとの記憶はセフィロスに恐ろしいほどの多幸感をもたらした。だが記憶の回復は諸刃の剣だ。大空洞で、過去の別の側面と向き合ったとき、自分に何が起こるのだろうか。暗い予感が押し寄せるのに抗うことはできなかった。
夜ごとに現れた金色の光の夢は、いつしかクラウド本人の姿をとるようになっていた。仄暗い揺らめきの向こう側からセフィロスを呼んでいる。起きている時に思い出すクラウドはいつも笑顔なのに、この夢に現れるクラウドは悲しみをたたえた顔をしていた。毎夜毎夜、差し伸べられた手を取り損ね、クラウドの姿はたちまち霧散してしまうのだった。
「フーファウス・ベイっていう街の由来を知ってる?」
肉のかたまりを咀嚼しながらナナキが言った。
「いや」
「ルーファウスのこと、覚えてる?」
「ああ、カームの基地ではっきりと思い出した。マクリーンは少し彼に似ているな」
「あはは、そうだね。この街にはね、ルーファウスの別荘があったんだって。年とってからの彼は殆どここで過ごしていたらしいんだ」
「ほう、コスタのような温暖な別荘地でもないのに」
「あのルーファウスがなんにもないただの漁村に別荘を建てたっていうんで、当時は話題になっていたよ。彼の取り巻き連中がこぞってここに別荘を建てて、だんだんと住人が集まるようになったんだ。ここからだとね、崩れたミッドガルと、ウェポンが上陸した時の大地の傷跡の両方が見えるんだ。ルーファウスは毎日のようにそれを眺めて過ごしていたんだって」
セフィロスはナナキが鼻の先で示した、北東方向の海岸線を眺めた。すぐに自然にできたにしてはとても不自然な地形が目についた。
「それが、あの変わった形の海岸か?」
「そうだよ」
ナナキはセフィロスの横顔を見ながら、まざまざと100年前の光景を思い起こしていた。ルーファウスが指揮してジュノンから移設したシスター・レイは、ここでウェポンの身体を貫通したあと、まっすぐに大空洞を狙って撃ち込まれた。
大空洞の奥底で、再生しつつあったセフィロスの姿を思い出してしまうと、目の前にいる男に対する不気味さが首をもたげる。
セフィロスの身体にはジェノバ細胞が組み込まれている。だがそれはクラウドやほかのソルジャーたちにも共通することで、ただひとりセフィロスだけが胎児の時に施術をうけたのだという。それだけの差で、この男だけがあのような強大な力を得、そしてジェノバの支配を逆に圧倒して、神になろうとしたのだろうか……。
この男の身体にはいまもジェノバ細胞が息づいているのだろうか。
ナナキはブルッと全身を震わせた。
翌日からの航海では晴天に恵まれた。だが、風が強く、高い波に船は大きく揺らいだ。
「ふえ〜、ひどい揺れ方だね」
「大丈夫か?船室の中に入っていたほうがいいぞ」
操舵輪を握ったセフィロスは、長い髪を激しく風になびかせて、前を向いたまま答えた。
「平気、平気。クラウドやユフィだったらひとたまりも無い……、あ……」
ナナキはばつの悪そうな顔をしてセフィロスを伺った。セフィロスの片眉が少し上がったような気がした。
「乗り物酔いの心配ではない。お前がデッキから滑り落ちてしまうんじゃないかと思ってな」
そう言って二ヤリと笑う。
ナナキはホッとした。この旅の中で、セフィロスがそう簡単に気を悪くしたり、感情を爆発させたりしないことは理解しつつあった。しかし、ナナキはいままでクラウドのことを話題にするのを避けていた。この男が持っている強い精神力は、時としてナナキの心を圧倒するほど揺るぎないものだ。それでも、ナナキは心配だった。いたずらに彼の心の傷に触れて動揺させることはしたくなかった。
「クラウドは、やはり乗り物酔いが酷かったか?」
「うん……。セフィロス、そのこと知ってたの?」
「ああ」
セフィロスは一瞬、昔を懐かしむ柔らかな顔になり、幸せそうな眼差しをナナキに見せた。まれに見るこの表情は、種の違うナナキの目から見ても非常に美しいものだ。しかし、その直後にはかならず眉間にシワが刻まれ、苦悩の表情がそれを覆い隠してしまうのだった。
当初、ボーンヴィレッジあたりに上陸することを目指していたのだが、思いがけず高性能なクルーザーが手に入ったことと、陸路では大空洞までの道のりが遠いのを考え合わせて、海上から大空洞周辺まで近づくことになった。ただし、あの近辺にはまともな港は無い。
数日かけて大空洞の近くにたどり着くと、周辺をゆっくりと航行し、接岸できそうな場所を探した。大氷河を抜けたあたりにある深く切れ込んだ湾内にクルーザーの錨をおろし、冷たい海に飛び込んだ。ナナキも達者に泳いでついてくる。
潮が満ちれば海中に没してしまうような小さな砂浜にあがり、岸壁をよじ登った。比較的足場の良さそうなところを選んでいたとはいえ、このふたりでなければ登りきれなかったことは間違いない。
「ナナキ」
大空洞の深い奥底をのぞき込むところへ来たとき、セフィロスはふと立ち止まって声をかけた。
ガイアの絶壁を登りきるまでの行程、ふたりは寡黙に歩き通した。この北の大陸では東大陸のような大きな環境の変化は感じなかった。遭遇するモンスターも、以前と変わらない種ばかりだ。
「どうしたの? 何か思い出したの?」
「俺がもし……」
「?」
「いや、なんでもない」
ナナキはしばらくセフィロスをじっと見た。その表情からセフィロスの不安の種を探り出そうとしているのがわかる。だが結局何も言わずに、また先に立って歩き始めた。
大空洞の中心からは、いまも高くライフストリームが噴き上がって渦巻いている。ふたりは竜巻の迷宮へと足を踏み入れた。
「ねえ、セフィロス。ジェノバ細胞って、何なんだろうね」
「そうだな。空からの厄災…と言い伝えられているが…。とても抽象的な表現だ」
「あの当時も、その後も、ジェノバの存在を知っている人っていうのは、ほんの一握りの人たちだけなんだよね。神羅の研究所の人とか偉い人とかさ…。普通の人たちはそんなものがあったことも知らないで暮らしている」
「うむ」
「きっとね、今ではジェノバ細胞の研究って誰もやってないだろうな。もう無くなっちゃったと思ってるよね」
「…………」
沈黙してしまったセフィロスを見て、ナナキは言った。
「その、えっと……、ジェノバ細胞は今もセフィロスの身体の中に残っているの?」
「宝条博士はそう言っていた」
「クラウドの身体にも残っているのかな……」
「そうだな。おそらく」
「ほかにも、リユニオンしなかった細胞があるのかな」
「……そういうことはあまり考えてみたことが無かったが、……そうかもしれないな」
また、ふたりは黙ってしばらく歩いた。パラサイトやアーリマン、ガーゴイルなどが頻繁に現れたが、ふたりの間ではできるだけ戦闘を回避しながら進むのが暗黙の了解事項となっていた。
「あのさ、もうちょっとクラウドの話をしても、大丈夫かな?」
「ああ、構わない。聞かせてくれ」
振り返ると、セフィロスは静かな面持ちで、ナナキを見つめていた。
「じゃあ、歩きながら話すよ。クラウドはね、この100年間、正確には行方不明になるまでの90年近くの間だけど、殆ど年を取ったようには見えないんだ。二十歳くらいの青年なんだ、どう見ても」
「カームで見た画像でもそうだったな。あれが十数年前だと言っていたか」
「うん。オイラには科学的なことはあんまりわからないんだけど、クラウドはね、自分の身体がどうなっているのか、すごく熱心に調べていた。つまり、ジェノバ細胞っていうのが本当は何なのか、ってことを調べようとしていたらしいんだ」
「あいつは昔から勉強熱心だったな」
セフィロスの表情にまた懐かしむような柔らかさが現れた。
「そうなの!? ……セフィロス、初めてだね。クラウドの昔のこと話してくれるの」
「そうだったか?」
「うん。でさ、クラウドが言うには、“代謝機能”に特徴があるって。代謝を極端に遅くするとか早くするとか、コントロールできるとか?」
セフィロスはナナキの言葉に目を見張った。
「ヴィンセントもね、あんまり年を取らないんだ。セフィロス、ヴィンセントのことは覚えてる?」
「いや」
「ヴィンセントはね、ちょっと特殊な身体をしているんだ。リミットブレイクするとね、すごいモンスターに変身しちゃうんだよ。彼が年を取らないのと、クラウドが年を取らないのは理由が違うみたいなんだよね」
「ほう……。なるほどな、代謝機能か。たしかソルジャーの代謝機能は飛び抜けて優れていた。だが恣意的にコントロールできる可能性があったのだろうか? クラウドは一人でその研究を?」
「ううん、クラウドは基本的にはコスモにある『生物多様性センター』で星の環境変化に関する研究をしていたよ。研究って言ってもさ、クラウドの場合は、ほら、フィールドワークっていうの? いっつもひとりで山とか、川とか、砂漠とか、変なところばっかりうろうろしてたよ。オイラには何をやっているのかよくわからなかったけどさ」
「そうなのか……」
「クラウドの身体についてはコスモ大学附属病院の先生が代々引き継いで協力していたよ。長く研究しているわりに、大した成果も上がってないみたいだけど」
「クラウドは被検体にされていたのか?」
少し硬い声でセフィロスが聞き返した。
「クラウド自身が主導権を握ってやってたからね。被検体っていう悲しい雰囲気は無かったよ」
ナナキは安心させるように言った。
いつになく話し込みながらも先を急いでいたふたりは、すでに大空洞の深部にさしかかっていた。奥底の目標地点に近づくにつれてセフィロスは、心の中に得体の知れないものが姿を現すのに気づいていた。
徐々に濃度を増し、さまざまに変化する薄緑の気流の中を一歩進むごとに、時間と空間の感覚を失っていくようだった。大空洞の奥底へと進むにしたがってセフィロスは、たゆたうような感覚をもたらす次元の網目のようなものに絡めとられていた。
セフィロスの心に現れ始めた得体の知れない異物感は抑えようもなく増大し、不快感が募る。振り払うように歩みを進めるうちに、やがて異物感は薄れ、意識がふたつに分離するのを感じた。異物として認識していたはずの部分が、別の自我を持っている。しかも、どちらもまぎれも無い自分自身であると感じていた。それぞれが五感から外界を認識し、それぞれに何かを感じ取ろうとしていた。
「ここだ。ずいぶん地形が変わっちゃってるけど、ここが一番下だよ」
大空洞最下部に到達すると、ナナキは感慨深げにあたりを見回した。
「どこかに……星の体内へ降りる通路が残っているかも」
「……」
「セフィロス?」
セフィロスは中空の一点を見つめたまま微動だにしていなかった。大空洞奥底の光景に何かを思いだそうとしているのだろうか?だが、彼はただ茫然と佇んでいるように見えた。なにかに心を奪われてしまったかのようだった。
実のところ、セフィロスの精神はありえないほどの激しさで活動を続けていた。彼の周囲にはポツポツといくつもの映像が揺らめきながら形を現わしていた。小さく霞んだようなものや、手を伸ばせば触れるのではないかと思われるほど鮮明で立体的なもの。いくつものシーンが一斉に彼の周囲をゆっくりと回り始めた。
大空洞に集まってくる膨大な量のライフストリームを浴び、眠りにつく自分の姿───
黒マテリアを握りしめて近づく白い手───
境界線を失い、どんどんと変貌していく己自身の肉体───
自分の胸を切り下げるアルテマウェポンの白いきらめき───
そして、強い決意を宿した青い瞳───
自分を取り囲むように現れた映像は、伸縮し、濃度をかえ、脈動するように震えながら、それぞれが自己主張している。映像がもたらす刺激が、セフィロスの2つに分離した精神をさらに揺り動かし、強い痛みをもたらしていた。
思わず目を閉じたとき、もう1つの自我が身体を内側から突き破るように大きく膨れあがってきた。怒り、憎しみ、混乱、そして堪え難いほどの激しい破壊衝動がセフィロスの中になだれ込んでくる。
───胸が引き裂かれる!
激痛とともに、身体からぞろりと何かがはい出してくるのを感じた。
目の前にあるのは、長い銀髪をたらした背の高い男の背中、そう、自分自身のうしろ姿だった。それはゆっくりとこちらに向き直ると、ぞっとするような酷薄な笑みを浮かべた。