「大統領直属の機関がこのような情報隠蔽を行うとなれば、我々はいったい何を信用すればいいのですかな?」
会議室は水を打ったように静まり返っていた。陸軍大将のコールマン一人が立ち上がり、語気を荒げて若い首長に詰め寄っていた。
「ストライフ生存の情報と障壁のゆるみの報告を受けて、迅速に進軍を開始したことのどこに非があるというのです?それともストライフの生存が我々に知られると、何か不都合でもあるのですか? 大統領閣下」
会議に出席しているのは統合幕僚会議の構成メンバーである陸軍、海軍、空軍それぞれの将軍と大統領だ。そして事務方として調査室からマルサリスら数名が同席していた。海軍大将ブレッカーと空軍大将デイビスはコールマンの言い分を聞きながら、大統領の出方を待っている。マクリーンはコールマンの怒声に晒されながら、じっと目を閉じて腕組みの姿勢を崩さないでいた。
背後に室長とともに控えていたマルサリスは、手のひらににじみ出てきた汗を上着の裾に擦り付けながら、大統領の横顔を見守っていた。彼はマルサリスが情報隠蔽を行ったことを知らなかったはずだ。背中にも一筋冷たい汗が流れた。まさかこの会議でコールマンがこんな隠し球を出してくるとは思いもしなかった。
───いったい、どうしてあの情報が漏れるんだ?
手玉に取るつもりの相手のほうが自分よりもはるかに役者が上だった。コールマンはコスモ侵攻の理由をストライフの所在が明らかになったこととし、独走の理由を調査室への不信とすることで正当性を主張していた。コールマンは依然としてストライフを抹殺することがコスモ共和国制圧のための第一要件だと主張していた。マルサリスは悔しさに居ても立ってもいられなかった。
「大統領閣下も大変ですな。子飼いの犬に手を噛まれるとはこのこと。これに懲りたら人事にはもうすこしに神経を使うことですな」
マクリーンの追い落としに王手をかけたコールマンは、喜びを抑えきれない顔をほてらせて、なお噛み付いた。
「これは責任問題ですぞ。そこの小僧一人の首を飛ばす程度ですませてもらっては困る!調査室を束ねているのは事実上大統領閣下ですからな」
ゆっくりと目を開いたマクリーンは、コールマンに向き直った。
「ふむ、確かに調査室を束ねているのは私だ。しかし、実際担当者が誰であれ、調査局が必要と判断して遮断した情報を、あなたはどうやって入手したのかな?」
「そ、それは……」
マルサリスは思わず息をのんだ。隣にいたモーガン室長がちらりとこちらを見ていた。
「まあ、いいだろう。その事情については後日改めて教えてもらうとしようか」
マクリーンは他のふたりの将軍の顔に向き直った。
「さて、これからのことだ。報告によると我が軍の被害は日没を迎えてさらに拡大し、1,500名をこえる死傷者を出している。コスモ連合がノースコレル北端に投入している戦力から鑑みて、撤退が最善の策と判断した。直ちに開始するように」
「何だと!何故だ!せっかくの障壁のゆるんだチャンスをみすみす逃すというのか!?」
「コールマン、何を焦っている? 今多くの犠牲者を出して障壁の内側へ侵攻することにどんなメリットがあるのだ? いかにずば抜けた能力を持った者であれ、たった一人の人間に、これほどの兵士の命を引き換えにするほどの価値があるのか?」
「つ、次にいつ障壁が緩むか判らんのですぞ? 1,000人、2,000人の犠牲が何だとういうんだ!」
コールマンの吐いた人命軽視の暴言には、さすがの海軍、空軍両将軍も鼻白んだ。
「コールマン。これは決定事項だ。軍の最高指揮官が私であることを忘れるな。ブレッカー、陸軍兵士の引き上げに協力してやってくれ。デイビス、せっかく準備を進めてもらったが、取りやめだ。通常通りのスクランブル待機に切り替えてくれ。では、各自速やかに」
マクリーンは席を立ち、怒りをあらわに睨みつけるコールマンを一瞥すると、モーガン室長を従えて会議室を出て行った。海軍、空軍の両将軍もなにか話し合いながらそれぞれの部下を率いて退出していった。続いてドアをくぐろうとしたマルサリスは、コールマンに肩をきつく掴まれて立ち止まった。赤ら顔を怒りでどす黒く染めて、太い指をマルサリスの胸元に突きつけてきた。
「わかっているだろうな。わしを敵に回すとどうなるか」
マルサリスは肩にかかった手を振りほどくと、逃げるように廊下を走り出した。間接照明に照らされた廊下の角をまがると、エレベーターホールの手前でこちらを見ているマクリーン大統領とモーガン室長に気づいた。額ににじむ汗を手の甲で拭いながら、覚悟を決めてふたりに近づいた。
「大統領。言い訳はしません。どんな処分でも」
それだけ言うと深く頭をさげた。ここでのキャリアはもうどうしようもないだろう。この公職を追われたら自分はどうすればいいだろう……。
「薫、だな?」
深いため息とともに頭上でつぶやかれたマクリーンの言葉に、マルサリスは思わず顔を上げた。自分とそう歳のかわらない青年の顔を驚きを持って見た。
「あいつがストライフとニブルヘイムの施設にこだわっているんだろ? おまえは調査室のメンバーとしての特権を恋人のために使った」
マルサリスは黙って頷き、そのまま下を向くしか無かった。いつから知られていたんだろうと、身の置きどころのない恥ずかしさが押し寄せてきた。
「このまま調査室を辞められると思うなよ。おまえにはこれからもまだまだ働いてもらわねばならない。薫のためにも、な?」
二ヤリと笑うマクリーンの顔を上目遣いに見て、マルサリスはこれからの人生をこの男に握られたのを悟り、そっとため息をついた。
「おうおう、どんな汚い手を使いやがった。オマエみたいな軟弱男に、ウチのリーダーが負けるハズはねえ! ただじゃ、すまさねえ!」
気がついた時には5人の破落戸に取り囲まれ、人けのない薄暗い路地裏の壁際に追いつめられてしまった。凄みをきかせる男たちは、マルサリスをはるかに上回る体格だ。
さっきの幕僚会議で、前から薫が危惧していた通りの展開になってしまった。彼の待つ部屋に帰れば、事情を話さないわけにはいかない。少し考えを整理してクールダウンしてから帰ろうと、飲み始めたのがいけなかった。3軒目に入った店で一人の男がマルサリスに邪な視線を這わせながら絡んできたとき、とっさに「飲み比べ」を口にしていた。腕っ節には全く自信はないが、酒量では誰にも負けないつもりだ。飲み負かして逃げるつもりだった。こんな破落戸に身体を触られるなど、考えただけで吐き気がした。
思惑通りに相手を酔い潰し、店を出ようとしたとき隣のテーブルにいた男の仲間が立ち上がり、マルサリスの通路を塞いだのだ。逃げ切れると踏んで店の外に飛び出したのが運の尽きだった。
「オレたちはリーダーと違って野郎を可愛がる趣味はねえんだよ。リーダーのカオを潰した落とし前はきっちりつけてもらうぜ」
顔面に向かって繰り出された最初の一発を避けたのが、マルサリスにできたただ一つの反撃だった。後ろから羽交い締めにされて、何発も顔を殴打される。膝蹴りを腹に受けても身体を折ることもできなかった。太い腕の戒めが解け、くずおれるように倒れた身体にいくつもの脚蹴りが食い込んだ。全身がバラバラになりそうな痛みと吐き気がした。鈍い音が他人事のように聞こえてくる。意識が遠のきかけた時、パタリと音が止まり、静かになった。
───僕はもう死んだのかな。それにしては身体が重いな…
腫れて動かなくなったまぶたを無理矢理こじ開けると、目の前に黒い影が覆いかぶさっていた。
「回復魔法を使ったら、またお前の仲間が駆けつけてくるのか?」
マルサリスは耳を疑った。声を出そうとしたが、あごが痺れて動かなかった。かすかに首を左右に動かした。
自分を取り巻く空気がわずかに重くなり、まとわりつくような感触に変わった。それはひたひたと静かに皮膚を通り抜け、身体中に浸透していく。全身の神経を直接撫でられ、細胞のひとつひとつがざわめいて震えた。潮がひくように痛みがどこかへ流され、マルサリスはゆっくりと身体を起こした。身体が熱っぽく手足が膨張したような痺れを感じた。
「かなり強い回復魔法を使った。すこし反動があるかもしれない」
落ち着いて話す声の主に焦点を合わせる。暗闇の中でも鈍く輝く銀色の髪と、揺らめくような光をたたえる暗緑色の瞳を見つけた。
「家はどこ? 歩けないんじゃないの? 一緒に送っていこうよ」
ナナキがマルサリスとセフィロスを交互に見ながら提案した。マルサリスはなんとか立ち上がったものの、身体中の感覚が麻痺したようになってしまい、ナナキが言う通り満足に歩くことができなかった。何度も謝りながら、セフィロスに支えられて薫の自宅まで送ってきてもらった。
ドアを開けた薫はあまりの驚きに、口をパクパクとさせながら、セフィロスとマルサリスの姿を交互に指差した。傷はすべて塞がってはいたが、着ていたものは血や泥がこびりつき、あちこち破けていた。そんなマルサリスを支えて立っているのがセフィロスだったのだから、薫がパニックに陥るのも無理はない。
「横になって、後頭部と腋下を冷やして体温を下げてやるといい」
マルサリスをソファに横たわらせると、セフィロスは薫を振り返った。戸口のところで固まったままになっていた薫は、弾かれたように冷凍庫に駆け寄り氷嚢を取り出した。
「水分補給も多めに」
「あ、はい」
マルサリスは慌てふためいてキッチンを行ったり来たりする薫を見て笑った。
「薫、紹介するよ。いいからこっちにおいで。ミスター・セフィロス、この男は宝条薫。神羅国立環境研究所の科学者です。貴方のお父上の、宝条博士の再来と言われています」
「ちょっ!止めてくれよ!フレグラン。宝条博士に失礼じゃないか!」
真っ赤になった薫が慌てて抗議の声を上げるが、マルサリスは取り合わなかった。
「本人はあんな風に言っていますが、今この時代、天才科学者宝条博士、といえばこいつのことですよ。貴方とは……かすかに血縁がある」
マルサリスはふたりの顔をじっくりと見比べて笑った。
「えー!そうなんだ!全然似たとこはないけど……」ナナキも面白そうにふたりを見比べ、「色は違うけど、髪の毛の感じは似てるよね?」と、マルサリスに同意を求めた。
薫の髪は漆黒で、肩のあたりで切りそろえられてはいるが、セフィロスと同じように絹糸のようなつややかさを持っている。何より、額のところで立ち上がる髪の生え癖がそっくりだった。外見的な共通点はそれだけしかなかった。体格も立ち居振る舞いもまるで正反対なのに、そこだけがそっくりなのが何とは無しに微笑ましくて、マルサリスの気持ちをほぐした。
「そうでした、ミスター・セフィロス。西大陸に渡る方法を検討しなければなりませんね。僕としては、やはりマクリーン大統領に力添えしてもらうことをお勧めしたいのですが。今、僕がご提案できる中でいちばんの安全策です」
マルサリスは重い身体を起こして座り直した。
「うん!それなら、さっき解決したよね」
ナナキが得意げに答えた。セフィロスはキャラバン隊のシンジと再開したこと、商工連合会の会長と引き合わせてもらい、協力を取り付けたことを話した。
「明後日ここを飛び立つ商品輸送用の飛空挺で、いったんウータイへ入る。ウータイからロケットポートへは定期船が就航しているらしい」
「なるほど、それは確実な手段だ。……いいかもしれませんね。虎山会の輸送機なら撃墜されることはまずありません。おまけにマクリーン大統領の力を借りなくてもいいというわけですね。それにしても……、虎山会を味方に付けるとは、さすがです。ミスター・セフィロス」
波瀾万丈の一日で綿のように疲れきったマルサリスが、もう一度ソファに沈み込んで眠りに落ちる寸前、視界の端におずおずとセフィロスに話しかける薫の姿を認めた。
───質問攻めにする気だな。
今夜は眠らせてもらえないだろうセフィロスとナナキを気の毒に思いながら、マルサリスは深い眠りに引き込まれていった。
結局、夜明かししてしまったセフィロスと薫、そしてナナキを伴って、マルサリスはすこし遅い朝食をとるために外へ出た。セフィロスに施された回復魔法のおかげで身体の傷は癒えていたが、さすがに精神的ダメージは自力でどうにかするしか無いようだ。疲れの残った顔を見た薫が、仕事を休めとしつこく言うのに従った。セフィロスたちが西大陸に出発してしまう前に、もうすこし話しておきたいこともあったのだ。
「薫はわがままなんですよ。気に入ったものしか食べないし、気が向いたときしか食べない。だからこんなに発育不全なんです」
マルサリスは薫とセフィロスの身長差に思わず笑いながら、薫の頭をポンとたたいた。薫は顔を赤くしてセフィロスの横から急いで離れた。薫はあれからずっとセフィロスに何やら小難しい研究のことを話し続けている。返事の言葉は短いものの、セフィロスは話を十分理解しているのだとみえて、薫は彼との会話をとても楽しんでいるようだった。
開店時間には少し早いはずだが、『パヤード』はすでに店を開けていた。ガラスドアを押し開けて店内に入ると、顔なじみになったオーナーシェフが、さわやかな笑顔で挨拶をよこした。セフィロスとナナキが顔を見合わせている。
「いらっしゃいませ。今日は早いのね。…あら? 珍しい組み合わせですね。」
「あれ? リサさん、ミスター・セフィロスとお知り合いなんですか?」
「ふふ。内緒よ。セフィロスさん、ナナキさん。また来てくださって嬉しいわ。朝ご飯でしょ? 今ならすいているから、クロックムッシュに好きなものを入れてあげられますよ。さ、入って。薫さんも、どうぞ」
すこし身体を折り曲げるようにして頭を下げ、入り口を通り抜けたセフィロスがリサに声をかけていた。
「シンジは?」
「ふふふ、朝から商品の確保に駆け回っていますよ。父はお役に立てましたか?」
「感謝していると伝えて欲しい」
「ええ、必ず。父もきっと喜ぶわ」
マルサリスはシンラ共和国軍のコールマン陸軍大将の存在をセフィロスにも知らせておきたかった。あの男はマクリーン大統領に連なるもの全てを憎んでいるようだった。この先、セフィロスやストライフに対してどのような行動に出るか、とても気がかりだった。
朝食をとりながら、マルサリスは幕僚会議での顛末を都合よく取り繕いながら話して聞かせた。勘のいい薫はすぐにマルサリスの苦境に気づいた。
「だから注意しただろう!」
怒り出してしまった薫をなだめながら、マルサリスは自分が何をいちばん大切に生きていきたいのかを改めて考えざるを得なかった。
「大丈夫さ。大統領はまだ僕を使うつもりがあると言っていた。まだ薫に養ってもらわなくてもよさそうだよ」
「そうじゃないよ!そのコールマンとかいうオッサン、フレグランのことどうするつもりだろう?まさか、もう殺し屋がその辺から見てるなんてこと無いよね?」
薫は自分の両腕を抱きしめるようにしてそっと周りを見回している。
「そう言うタイプの男なのか?」
「まあ、どっちかというとそういうタイプですが、僕をこっそり殺してもあまり得にはならない。それよりもマクリーン大統領の汚点として晒しものになる可能性のほうが高いですね」
マルサリスは肩をすくめて答えた。だが、これからもマクリーン大統領が自分を必要とするかぎり、彼のもとで働き続けるだろう。状況がどのようになろうとも、自分の心は常に薫とともにある。守るのはそれだけだ。持ち得る力はすべて使わせてもらう。
なぜ、セフィロスが過去の記憶も無いままに、一心にクラウド・ストライフの元へ行こうとしているのか。ようやく本当の理由が見えた気がした。それは自分が守ろうとしているものと同じものなのだ。いや、おそらくそれは、もっともっと切実なものなのだろう。マルサリスは今、心からセフィロスがストライフと再会し、心の安寧を得てくれることを願っていた。
正午すぎ、民間機用に割り当てられたポートから、虎山会の大きなマークをつけた飛空艇がゆっくりと飛び立った。