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第一章 長き眠りの果てに

五章 魔晄の泉(4)

 タタタタタ、タタ、タタタタ!
 ダダダダ、ダダダダダダ!

 洞窟の細長い通路に反響した自動小銃の掃射音は、徐々にこの魔晄の泉を擁する広場に近づいてきていた。
 入り口でシンラ共和国から来た特殊部隊を迎え撃ったコスモ連合軍の兵士たちは、じりじりと攻め込まれて通路内に後退しているのだ。
 通路の天井にいくつかあった縦穴からも、敵兵たちが侵入してきている。このままでは、コスモから一緒に来た部隊は挟みうちにあってしまうだろう。
 広場の入り口横にある巨石の影で様子をうかがっていたナナキが、傍らのヴィンセントを見上げた。
「行かないとヤバいよね?」
「そのようだ」

 ナナキは泉の向こう側にいるセフィロスを振り返った。
(セフィロスになら、ここを任せても大丈夫だよね……。っていうか、頼むよ!)
 ナナキは前足を上げて立ち上がり、セフィロスに合図を送った。天井の穴をあご先で示して、注意を促す。
(あいつら、上から来るかもしれないからね!)
 セフィロスが片手を上げて応えるのを見て、ふたりはそっと大きな岩の影から滑り出た。足音を殺して暗がりの中へと走り出す。
 細長く伸びた通路の向こうに五つの人影が見えた。ビルの3、4階に相当する高さから音も無く着地したシンラ兵たちは、一様にものものしいパワードスーツに身を包んでいる。
 この世界からソルジャーを作り出す技術が失われたあと、シンラ共和国ではこのような強化戦闘服の研究が盛んになっていた。ナナキの知る範囲では、スーツ自体の性能は高いが使いこなす人間のほうが追いつかないと聞いていた。
 ナナキはヴィンセントにそっと耳打ちした。
「ねえ、あの戦闘服のこと、知ってる?」
 ヴィンセントは首を左右に振った。
「スーツ自体にいろいろ仕掛けがあって、パワーやスピードが強化されているんだよ。そうだ、昔のソルジャーと戦うと思えばちょうど良いくらいだね。……コスモの兵士たちにはちょっと荷が重いかも…」
 ヴィンセントは頷くと、タイミングを合わせるためのサインを出した。
 3、2、1……。
 立てた指が無くなると同時にふたりは暗がりの中から飛び出し、強化シンラ兵の背中に襲いかかった。

 

 遠くに響く銃撃戦の音を聞きながら、セフィロスは自分たちのいる広場がシンラ兵のものとは異なる殺気によって取り囲まれていることを感じ取っていた。
 岩壁に背中を預けるように座り込んだエルヴィンに抱きかかえられて、クラウドはぐったりと目を閉じていた。
 エルヴィンの頼り無さげな細い腕と、青ざめたクラウドの頬を見つめて、セフィロスは新たな気力が満ちてくるのを感じた。
(まだ、俺にやることがある・・・ということか)
 クラウドを安全な場所に連れて行くまでは、見届けなければいけない。
 自力で動くこともままならないクラウドと、戦闘能力の無いエルヴィン。とりあえずの装備は整えているものの、どこまでの修羅場に耐えられるか疑問の残るレニー。
 退却路は無い。唯一、ここから出られる通路にはシンラ兵が侵入し、戦闘のまっただ中だ。
 危機的状況にあってなお、そこに自分の役割があることに安堵している自分をすこし可笑しく思った。 

 じわじわと包囲を狭める殺気は猛烈な勢いで膨れ上がり、侵入は突如として始まった。
 広場に天窓状の穴から差し込んでいた陽光が、サッと途切れた。
 ひしめき合いぶつかり合いながら穴を通り抜け、何体ものモンスターが頭上から降ってきた。
(ガーゴイル!)
 禍々しい紫色をした大きな翼手が背中にあった。硬い表皮におおわれた身体には、有り余るパワーを感じさせる太い手足がついていた。
 太い筋と薄い飛膜が大きく羽ばたき、上空を旋回していた。長く伸びた角を振り立てるようにして甲高い咆哮を上げながら、セフィロスたちの様子をうかがっていた。
 その数は30を越えるだろうか。今までにセフィロスを狙ってきたモンスターたちの例に漏れず、本来ニブルエリアに生息するはずの無い種だった。
 ガーゴイルはもっと北方の寒冷地に生息し、普段は石像化して大人しく過ごしている。彼らのテリトリーを侵すものにのみ、襲いかかるのだ。
 見たところ巨大化の傾向はそれほど顕著ではなく、身の丈はセフィロスとほとんど同じくらいだ。しかし、どんなふうに能力が進化しているか知れたものではなかった。
 広々としていた洞窟内はモンスターの体臭と、羽ばたきによって舞い上がった砂埃が充満し、むせ返るようだった。

 セフィロスまだ、戦い方を決断することができないでいた。
 ファイアの暴走を目の当たりにしているため、攻撃魔法は選択の外だった。防御系の魔法はどうだろうか。仮にシールドが暴走したとしたら、どんなことが起こるだろう。内部が酸欠になるほどしっかり閉じてしまう、あるいは、解除できない状態になるなどという事が、起こりうるのだろうか?
 自分の発動した魔法が取り返しのつかない事態を招くことを恐れたセフィロスは、結局のところ、シンプルに物理攻撃を選ぶしか無かった。
「レニー、慌てなくてもいい。第一は自分の身を守る事。余裕があればゆっくりと狙え。なるべく引きつけて、一体ずつ確実に仕留めろ」
「わかりました」
 セフィロスの方から動いて斬り込んでいくことができるのであれば、相手が三十体でも五十体でも構いはしなかった。だが背後に守るものを抱えている状況では、この場所を離れてしまうことはできない。自ずと守勢に回る事になる。
 左腿の横から滑らせるようにシースナイフを手のひらに納める。
 ここまでの旅の間にずいぶん手に馴染んだ得物となったこのナイフは、まだまだ鋭い切れ味を保ってはいた。が、しょせんはナイフだ。大量のモンスターを一度に倒すには心許ない。グラスランドの砂漠で巨大ウォームを相手にしたときのように、魔晄エネルギーを刃に乗せて戦うならまだしも、だ。
 この洞窟内の異様な魔晄濃度は、セフィロスにそれさえもためらわせた。無意識に魔晄エネルギーを引き上げてしまうことを恐れてナイフを右手に持ち替えた。

 動こうとしない人間たちに痺れを切らしたのか、一体のガーゴイルが手足のかぎ爪を伸ばして襲いかかってきた。セフィロスはわずかに跳び上がって、敵の喉を狙う。一閃の後、最初のガーゴイルがしぶきを上げて泉の中に落ちていった。
 堰を切ったようにモンスターが次々と空中から襲いかかってきた。
 セフィロスは自分の位置を大きく替えないように注意を払いながら、最小限の動きで敵を倒していく。
 レニーもセフィロスの傍らから落ち着いて銃を構えた。ドーゥン…、と低い音を響かせて丁寧に狙っていた。
 レニーが用意していたホローポイント弾は弾丸の先端に窪みがあり、標的に命中すると抵抗が大きくなり貫通しない構造になっていた。モンスターの体内で先端がつぶれ広がり、その身体を切り裂くため、殺傷能力が高い。
 その分、空気抵抗も大きく弾丸の飛翔速度が遅いため、狙いを外しやすいのが欠点だが、レニーの腕は確かだった。50口径という怪物じみたリボルバーを上手くコントロールしていた。

 細かく鋭い牙に縁取られた口元からだらりと長い舌を出したガーゴイルたちは、鋭い爪を振り上げてセフィロスに群がってくる。背後にはボス格だとおぼしき、ひときわ大柄なガーゴイルが姿を見せ、戦いの一部始終を見守っていた。
 セフィロスの腕が一振りされるたびに、一体ずつ敵は減っていく。紫色をした皮膚の色にも似た、赤黒い鮮血が大量に飛び散り、泉は濁った汚水のように変色していた。
 あっという間に、セフィロスとレニーの前にはガーゴイルたちの死体の山ができていた。ふたりの奮闘は凄まじいものだったにも関わらず、じりじりと壁際に追いつめられつつあった。
 天井の穴からは、また新たにガーゴイルの一団が現れた。
 レニーが装填のために俯いたところに長い腕が振り下ろされるのを見て、セフィロスはとっさにナイフを左手に持ち替え、レニーの頭の上をなぎ払った。
 どす黒い血をまき散らしながらガーゴイルの太い腕が宙を舞う。放物線を描きながら、腕はクラウドを抱えるエルヴィンの頭上に迫った。
 レニーに気を取られた隙に、セフィロスの右横をすり抜けようとするモンスターを食い止めるため、すぐさま身体をひねって右に跳ぶ。体当たりするようにガーゴイルを弾き跳ばしたセフィロスは、左手の異変に気づくのが遅れた。

「うわぁ!」
 小さな叫び声を上げ、エルヴィンは身をすくめる。自分よりもやや大きなクラウドの身体を抱えてすぐに立ち上がることもできず、クラウドに自分の上半身を覆いかぶせるようにして縮こまるのが精一杯だった。
 ドサリと重い音を立てて、腕はエルヴィンのすぐ横に転がった。
「あう……」
 気味悪そうに腕を眺めたエルヴィンは、腕の中のクラウドが身じろぎするのに気づいた。急にキツく抱きしめられて、意識が戻ったらしい。
「クラウド?」
 開いた目がキチンと現実を捉えているのかどうか、クラウドはぼんやりとした眼差しを洞窟内に彷徨わせていた。目の前で繰り広げられている死闘を認識できたのか、ふと視線が一点に固定された。
 エルヴィンがクラウドの視線をたどると、そこには淡い翠色の輝きを放つ異形のナイフがあった。

 たかだか30cmあるかないかだったナイフの刀身は翠色の光を長く伸ばし、空中に浮かんでいたガーゴイルの何体かをなぎ払うように切り裂いた。
 セフィロスは両手でグリップを持ち、左手から暴走するナイフを引きはがそうとしていた。
 足元から立ちのぼる魔晄エネルギーは、セフィロスの足を縫い付けるように強く岩盤に押し付け、彼の体内を駆け巡るようにしてナイフの切っ先から迸っていた。
 そして、ナイフはセフィロスの手の一部であるかのように、いや、手のひらに食い込んでくるかのように貼り付いていた。
 ナイフを振り払おうとする動きが、でたらめに空中のガーゴイルたちに襲いかかる。モンスターたちは恐慌を来たし、セフィロスを遠巻きにした。
 革の手袋が焼けこげたようになり、破れたところから思い切って引きはがす。
 ───カラン……。
 やっとのことでナイフを捨て去ったセフィロスは大きく肩で息をついた。
「セフィロスさん!」
 エルヴィンの呼びかけに背後を振り返ると、クラウドが大きな目を驚愕に見開いてセフィロスを見ていた。
「クラウド?」
 クラウドは声にならない掠れた息を吐くと、一度唇を閉じ咳払いをした。
「……フィロス……」
「……?」
 セフィロスは目線をモンスターに走らせながらも、クラウドの表情を確かめる。おびただしいモンスターに取り囲まれ絶体絶命の状況にあるというのに、その顔に恐怖の色は無く、ただ懇願するような目をセフィロスに向けていた。
「思い出して……」
「……クラウド?」
 何を言おうとしているのだろう?
 確かに自分は多くのことを忘れている。しかし、この切迫した状況で何を思い出せというのだろう。
「武器を…、あなたの……愛刀の名前を……」
「愛刀の名前?」
「そうだよ」
「俺の愛刀……」
「あなたの愛刀の名前は……」

 

「「 正 宗 ! 」」

 

 背中が弓なりに反るほどの強い衝撃とともに大量の魔晄エネルギーが地面から噴き上がり、セフィロスの身体を貫いた。
 泉の魔晄が大きく波立ち、激しいつむじ風が巻き起こる。眼前に迫っていたモンスターたちは、強い風にあおられて慌てふためいた。
 黒いコートの裾は捲れ上がり、長い銀髪は高く天を指すように翻った。自然と高く差し上げた両手に向かって、全身を駆け抜けた魔晄エネルギーと魔力が集中していく。
 クラウドの投げかけによって、己の分身ともいえる刀の柄の手ざわりが、記憶の奥底から生々しく手のひらに甦ってきた。そして、その重量感、自身の身長をも超える長さ、見るものの心をとらえて離さない怜悧な輝き───。

 カッと目を開いたとき、差し伸べた両手の間に凝縮された魔晄エネルギーがあふれ出し、魔力がバチバチとプラズマのように放たれていた。
 思い起こした柄のイメージを確かめるように左手をグッと握りしめると、そこには確かな手応えがあった。手に馴染む懐かしい感触だった。
 ひと息に左手を大きく振り払う。
 ヒュンッ、と鋭い風切り音を耳に残して、セフィロスの愛刀が完全な姿を現した。

───正宗!

 一気に倍増したセフィロスの闘気に煽られて、ガーゴイルが色めき立つ。興奮が頂点に達し、思い思いの咆哮を上げてモンスターはセフィロスに飛びかかった。
───ズザーッ!
 ナイフとは比較にならない広い範囲を、枯れ草でも払うような気安さでなぎ払う。何体ものガーゴイルがその身体を両断されてボタボタと泉の中へ落ちていった。
 こうありたい、と願った通りの働きをする変わらぬ手応えにセフィロスは満ち足りた思いを得た。ミディールの海岸で一歩を踏み出してから初めて、本当に地に足がついたと思った。
 正宗が何度か銀色の軌跡を描いただけで、洞窟内のモンスターはあらかた倒してしまった。残るはボス格の一体とその脇を固める2体だけだった。
 脇の一体をめがけてセフィロスが跳躍したちょうど同じタイミングで、レニーのリボルバーがセフィロスに向かって火を噴くのが見えた。引き金を引いた本人は、思いがけない失策に絶望的な目を見開いてセフィロスを見ている。
 しかし、レニーの心臓が凍りつくよりも早く、セフィロスは弾丸の進路を見切り身を翻した。
 レニーの弾丸は目標を過たず、左脇から飛びかかろうとしていた一体を撃ち抜いた。頭部を破裂させて落下していく。
 セフィロスは、空中で身体をひねりながらボスの右脇から身を乗り出していたガーゴイルの首をはね飛ばし、返す刀で最後に残ったボス・ガーゴイルに振りかぶった。

───ガシッ!!
 鋭い爪の生えた大きな手をのばし、ボス・ガーゴイルは正宗の刀身を掴んだ。血しぶきが噴き上がるが、気に留める様子もない。モンスターは刀に乗せられたパワーをまともに受け止めず、上手く逃がすかたちで受け流していた。
 鋭く両脚が繰り出され、セフィロスの腹を思いっきり蹴り付ける。弾けるように二つの身体ははね跳び、ガーゴイルはさらに高く、セフィロスはクラウドたちから離れたところに着地した。
 爪の食い込んだ腹から鮮血が流れ落ちた。

「セフィロスッ!!」
 悲痛な叫び声が高い天井にこだまする。ボス・ガーゴイルは寄り添うように壁際に固まる3人に赤く燃える目を向け、恫喝するような雄叫びを上げた。
(クラウド、声を出すな…)
 セフィロスは、ボス・ガーゴイルに向けて挑むように裂帛の声を上げた。
「はぁああああーー!!!」
 全身から青い炎のような闘気を立ちのぼらせて、セフィロスは頭上のガーゴイルに向かって地を蹴った。ガーゴイルの翼手が左右に大きく広げられ、右腕が高く引き上げられ力をためている。たくましい腕の付け根は筋肉が盛り上がり、緊張した血管が青黒く浮き出していた。
 懐に飛び込むように正面から突っ込んでくるセフィロスの側頭部に向かって、鋭い爪が繰り出されたとき、セフィロスはやや仰け反るように上体を持ち上げてモンスターの爪をかわす。
 そして、さらに一段高いところから、まっすぐボス・ガーゴイルの頭上に正宗を振り下ろし、まっぷたつに切り下げた。
 左右に分かれて落下するボス・ガーゴイルの残骸の間を通り抜け、泉の対岸に着地した。

 あたりには濃い血の臭気が立ちこめていた。
 セフィロスは静かになった広場をゆっくりと見渡した。3人の無事を確認し、泉の周りをゆっくりと歩いて生き残ったモンスターがいないかどうかチェックする。
 納得すると、セフィロスは左手を顔の正面に上げ、つくづくと正宗を眺めた。
(俺の手の中に戻ってきたんだな)
 セフィロスは心の中で正宗に語りかけ、瞑目した。
 正宗は記憶とともに甦った。今はこれを携えて戦った日々のことが鮮やかに思い描ける。
 セフィロスはかつてそうしていたように切っ先を左右に振り払うと、そこには存在しない“鞘”に正宗を納め柄から手を離した。
 たちまち、空気に霧散するかのように長大な刀がその姿をかき消した。

「す、すごい……」
「いま、どうなったんだ?刀は……」
 あっけにとられたように瞳を凝らしてセフィロスの手元を見ていたエルヴィンたちのところへ戻ろうとしたとき、広場の入り口に黒い影がゆらりと姿を現した。
 セフィロスの顔に緊張が戻る。瞬時に3人のところへ移動すると、抜刀の姿勢をとる。
(まだ残っていたのか!)
 今倒したばかりのボス・ガーゴイルよりも人に近い立ち姿ながら、いっそう大きな禍々しい翼手を広げていた。頭部の2本の角は瘤のように太く後ろに長く伸びている。赤く炯々と光る瞳は広場の中を睥睨していた。
 セフィロスの全身から再び闘気が立ちのぼった。
「ダメだよ−!セフィロスッ!」
 と、モンスターの背後からナナキが飛び出してきて大声を上げた。
「ナナキ?」
「これ、ヴィンセントなんだよー!」
「なんだって?」
「だから、変身しちゃったんだよ〜、リミットブレイクして! 向こうでちょっと厳しい情況になっちゃってさあ。おかげで、強化シンラ兵たちも一掃できたんだけど……」
「変身……」
 セフィロスはマジマジと“ヴィンセント”の姿を眺めた。異能の人物だとは聞いていたが、まさかこれほど身体を変容させてしまうとは思いもかけないことだった。
「なぜ、まだ変身を解いていないんだ?」
「ヴィンセントはこうなったら、なかなか元に戻れないんだよ。力を使い果たすか、自然にクールダウンするまで放っておくしか無いんだ。だから、しばらくここで落ち着いてもらおうかなって。ハハハ」
「……なんとも、……不自由な能力だな」
「こっちも大変だったみたいだね。さあ、オイラたちは外の空気を吸った方がいいよ。早いこと、クラウドを運び出そう」
「ああ」
 セフィロスはクラウドを振り返った。
 先ほどまで正宗を手に戦うセフィロスを必死の面持ちで見つめていたが、今は再び眠ってしまったようだ。
 エルヴィンの膝の上からクラウドをそっと抱え上げると、顔を彼の鼻孔に近づける。頬を撫でる静かな呼気を確かめてから、洞窟を抜ける通路へと歩き出した。

 

 日没を迎えて真っ暗になった洞窟の泉のほとりで、ヴィンセントは身体の中でまだ暴れ続けている異様な高揚感を鎮めようとじっとうずくまっていた。
 中央の泉は、新しく湧き出した魔晄で再び満たされている。この静かな泉をかき乱すものも、もう現れはしないだろう。
 濃く立ちこめてくる魔晄の臭いと、燐光を発する魔晄の翠色が懐かしい想い出を誘った。
(ここは、あの場所に似ているな)
 年若く、未熟だった青年時代にただ一人愛していた女性。居たたまれない罪悪感を抱いたまま、ここによく似た祠の中に身を隠していた。
(ルクレツィア───。今のセフィロスを君に見せてあげたいよ…)
 ヴィンセントは入れ替わりに出て行ったセフィロスの姿を思い出していた。
 ナナキから聞いていた通り、100年前にクラウドたちと共に闘った、あのセフィロスとは全く印象が異なり、別人のようだった。
 クラウドを労るように抱き上げて見つめていた、あの慈しみに溢れた眼差しは何だというのだろう。
 あれが、星の全てを破壊し、我がものにしようという野望を抱いた怪物の顔なのか?
 いや、違う───。あれは、まったく普通の、健全な情感を備えた人間のものだ。

 ヴィンセントは、全身を埋め尽くしていた高揚感が、綿のような疲労に取って代わるのを感じると、そっと目を開いた。薄暗がりの中に、ふと視界をかすめる影があった。燐光を頼りに目を凝らす。
 魔晄の泉の対岸に、蜃気楼のように揺らめきながら佇む女性の姿が見えた。
(………? ま、まさか……)
 ヴィンセントは急いで立ち上がると、泉のほとりを駆け出した。
「ルクレツィア! 君なのか?!」
 栗色の髪をしたその姿は、以前と変わらぬちょっと辛そうな微笑みをヴィンセントに投げかけていた。

 

『In A Silent Way』 第一部 五章 魔晄の泉(4) 2006.10.28 up

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